奥床し
元々、古典文学に使用されていた「おくゆかし」
「洗練されて美しい」とか「もっと深く知りたい」
とか現代語訳されているが、「大和言葉」では、更に「慎み、控えめに振る舞う事、慎み深い人は必要以上に注目を浴びようとはしない様」という意味でも使用される。
なんの話が始まるかか?
自分自身への反省と人への敬意のあり方と今後の自分の振る舞い方を
転職して3ヶ月あまり…
ガチャガチャした人間関係にも少しばかり慣れて来た。
割と私は、チューニングを合わせて人間関係を無難にこなす方だか、不協和音の修正が苦手で、そこでいつもパンクする。
人間関係において、些細な事がとんでもない不協和音になりやすい。
事が治るまで静かに待つ事、もしくは自分の内なる声に耳を澄まし、静かさを取り戻す事が必要だ。
私の職場は障害児が通う小さな事業所である。
この小さな事業所を創設から関わり、切り盛りしてくれていた管理者の女性がいる。
とても優秀で、管理業務にも現場の実務にも優れている。事業所を利用している子どもに対する優しさや熱心な思いがとてもよく伝わる方だ。
彼女は、今年度で退職する。
その意向を、周りの噂話と直接本人からも聴いた。
元々、リハビリ関係の国家資格を所有していた彼女は、管理業務ではなく、現場で直接支援がしたいとの思いが強かったようだ。
彼女の退職に関して、周囲は悲しみよりも安堵した様子を漂わせていた。
彼女は相手に求めるものが高かったし、理論的に物事を進めたい人だった。意にそぐわない事があると徹底的に相手を攻撃したし、会議なんかは、彼女が納得する意見が出るまで終わらなかった。
「何故これをするんですか?もう少し順序立てて説明してくれないとよく分かりません」
「計画的にやって下さい。これじゃ療育にならないですよ。テーマを決めて遊べるもので考えて下さい。嫌な事でもきちんと最後までやらせて下さい。」
「統一して下さい。みんな同じように出来るように。」
入職したら当時は、彼女が求めている事にある程度理解は出来たし、言っている事は正論そのもので、何も間違いはなかった。それは、元々総合病院に勤務していた時に散々聴いた言葉達だったからだ。
「理論的に」「正確に」「順序立てて整理する」
「統一する」
医療関係にいた看護師さんなども彼女の考えが理解できる事もあったが、保育士さん達はかなり戸惑いを隠せなかったようで保育のあり方に困っていたし、自分たちの保育観を発揮できず愚痴ばかり出ていた。
新参者でありながら、私は色んな角度からアプローチを変えてみた。
管理者の彼女の考えや支援をみんなに分かりやすく伝えて行くこと、保育士側に歩み寄る事…
人間関係は面倒だが、子どもへの支援の充実が急務。意地の張り合いに巻き込むわけにはいかない。大切なのは子どもが安心して安全に、楽しく、あわよくばその能力を存分に発揮できる事…。
しかし、それは管理者の彼女と私の関係を結果的に崩してしまった。彼女は私の目をみて話さなくなってしまった。
彼女がポロッと
「私は無駄な事をしてたんですね、きっと」
と言った。そうではない。その熱意ある故に、知識ある故に、言い方ややり方に躓いただけだ。
私が管理者だったらもっと酷いことになっていたかもしれない。彼女のストイックさが事業所の根幹を支えていたはずだった。
何も間違いは無かった。
けれど、彼女の完璧は誰かの完璧ではない。それを一緒に感じて、その高い能力を活かして欲しいのだ。
彼女を尊敬している。それが退職するまでに伝わるといい。もっと話せるといい。
彼女の良さ、みんなの良さ。不協和音も奏でながら時には静かさも。いつかワルツとか交響曲とか素敵なハーモニーになるように。
目立たず、探求し、でもどこか洗練されたもの…
奥ゆかし…
間違いはない。
正しさもない。
けれど、目を向けるのはいつでもそこにいる対象者だ。
奥ゆかしく、私はここでやっていく。