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「マタイ受難曲」つながる記憶

友人が出演する演奏会に行った。

バッハ「マタイ受難曲」
新約聖書のマタイの福音。

かつて、母校のキリスト教学、略してキリ教をなぜ真面目に勉強しなかったのかと悔いながら「こどものための聖書物語」を開く。
手元にもう聖書はない。

「こどものための聖書物語」
年代ものの絵本

遠い昔、子供時分に両親からのクリスマスプレゼントがこの本だった。

マタイ受難曲を聴くにあたって、マタイの福音にあたるページを読み返した。
ところが頭の中をよぎったのは、

キリ教の教授(牧師)のお名前一文字を糸へんとつくりに分解して「いと〇〇」なんてニックネームで呼んでいたなーとか、

高校まで仏教系の学校だった友人が、礼拝最後のお祈りでつい合掌するのを見て笑ってたなーとか。

くだらないことばかりを思い出したのだった。
悔い改めよ私。





マタイ受難曲の演奏会は初めてだった。
舞台上の構成が通常のオーケストラとは異なる。
舞台中央のチェンバロとヴィオラ•ダ•ガンバを中心に、合唱隊と管弦楽団はそれぞれ左右で対になった二部構成だ。

イエスの最後(弟子たち裏切り、過越祭、ゴルゴダの丘、十字架につけられ死を迎えるまで)が合唱とソリストのアリア、管弦楽の音楽によって語られる第1部、第2部、3時間の音楽劇。
(日本語訳の字幕が出るので、物語の進行はわかりやすかった)
合唱の迫力、天使の歌声(児童合唱)ソリストの声、チェンバロの音色。
オルガンとヴィオラ•ダ•ガンバの演奏が静かに胸に響いた。
アルトのアリアとバイオリンの音色に泣きそうになる。

音楽を聴きながら、美術館で見たキリスト教絵画が思い出された。
イエスの死や復活、マグダラのマリアを描く絵はなぜか記憶の底にあった。
音楽から絵画の記憶に辿り着いたことは小さな喜びだった。
そんな経験は初めてだった。
素晴らしい演奏を聴かせてもらったのだ。
演奏者のみなさんと友人に心からの尊敬と拍手。
友人には小さく手を振った。


「こどものため聖書物語」挿絵
ブライアン•ワイルドスミス 画
(復活の朝)


このマタイを指揮されるはずだった秋山和慶先生が1月26日にお亡くなりになられた。
友人は先生のお人柄をいつも熱く語った。私が客席からお見かけする先生は80歳を越えているとは思えない、シャキッとしたお背中だった。
悲しみの中、最後の猛練習をしたそうだ。
まさに「演奏者渾身のマタイ」だった。
マエストロにも届いただろう。
観客のみなさんもそのことをよくわかっていらして、拍手は鳴り止まなかった。

ご冥福をお祈りいたします。



指揮/木村美音子
管弦楽/東京シティ•フィルハーモニック管弦楽団
児童合唱/東京少年少女合唱隊
合唱/東京アカデミー合唱団


2025/2/24
@東京オペラシティコンサートホール


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