新連載『ここにいるよ』
能登半島地震と我々は、どう向き合うべきなのか 2025年1月7日から、北陸中日新聞、中日新聞、東京新聞で、能登半島地震の被災地を舞台にした小説『ここにいるよ』の連載を始める。
2024年1月1日、能登半島で発生した大地震。
一年を経過した今も、被災地では日常生活をとり戻せない状況が続いている。その現状をもどかしく見つめる中で、気になったのが、現地の情報が非常に局所的かつ断片的であることだ。また、先入観による誤解が多々あると感じている。
誤解の一因は、他の震災との比較によるものだ。
震災が起きた時、震度7が報じられ、「大地震が、今度は能登で起きた。しかも、お正月に!」と誰もが驚いた。
ところが、その後、津波が7メートル程度という情報が伝えられると、東日本大震災と比べると「大したことはない」と感じた人が多かったのではないだろうか。東日本大震災では、17メートル超の津波があったからだ。
輪島の朝市で起きた火災も、テレビ画面を見ている限り、。阪神淡路大震災時の神戸市長田区の火災や、宮城県気仙沼などの火災に比べれば「大したことはない」と思えた。二階建ての民家が崩落し、一階にいた人の「圧死」が伝えられても、「阪神淡路大震災の時に比べると、死者は少ない」と考えてしまった。
「大変なことが起きた、大切な人、ものを失った」当事者には、他の被災との比較など無意味であるというのに。
さらには、あやふやな情報がまことしやかに流れるようになる。
象徴的だったのが、震災7ヶ月後に当時の岸田首相が、和倉温泉を訪問し、「今後、和倉温泉など、能登地域をを対象に観光客の宿泊代の7割を国が補助する」と発表したことだ。
その当時、22軒ある和倉温泉の旅館で、営業していたのは、たったの1軒で、大半は、深刻な震災の被害で、営業再開の目処が全く立たない状況だった(現在も、その状況は僅かしか好転していない)。
被災地を訪れる首相に、現地では「当たり前の認識」が共有されていない。
その現実に愕然とすると共に、能登半島から、正しい情報が伝わっていない事態の深刻さを痛感した。
地元で取材する記者は、毎日、被災地の情報を発信している。だから、全国に能登の状況は伝わっていると思い込んでいる。だが、全国的には、「能登はもう落ち着いたのでは?」という印象を持つ人が、発災一ヶ月後ぐらいから増えていった。
なぜ、こんなことが起きるのか。
一つには、表層的に他の震災と比較し、実態を見ることを疎かにするという「先例の罠」に嵌まってしまったこと。さらに、地震だけではなく集中豪雨被害も年に何度も起きていることから、多くの日本人が、「自然災害報道疲れ」をしてしまった可能性が考えられた。酷い言い方をすれば、「飽きてしまった」のではないだろうか。
能登半島地震には、この地震でしか起きなかった特徴が、精査すればいくつかある。また、災害以前からあった問題が、被災によって顕在化した。こえらから目を逸らすべきではない。
こうした様々な問題、そして懸念、あるいは一方的な思い込みを解きほぐすには、小説で、能登の現実を描くしかないのではないか。
東日本大震災で感じた時以上に、その想いが募った。
だとすれば、躊躇っている場合ではない。
昨年秋から本格的な準備を始め、なんとか震災から1年というタイミングで、連載小説スタートにこぎ着けた。
タイトルは、被災地の声に耳を澄ませて欲しいという気持ちから、『ここにいるよ』とした。