押韻の快楽 / 短歌、Sufjan Stevens、など。
詩を美しくするものの要素はいくつかあるけれど、そのなかで韻は、その普遍性と、絶望的な翻訳不可能性(あるいは、不要性)ゆえに、ひとつ絶対的な位置を占めると思う。
「か」行の音のもつ、かたさ、きびしさ。「さ」行の音のもつ、さわやかさ、すずしさ、さむさ。
こういったものを私はいつも無条件に普遍的なものとして信用するし、多くの場合、モティーフそのものよりもはるかに信用する。
(言い換えれば、仮初めのシニフィアンの一特性をシニフィエより信用することができる、と言っていいんだろうか、)
今回は少し気が向いたから、布教と、備忘と、思考整理と、嗜好整理とをかねて、私にまさに気が狂うほどの快楽を与える押韻をいくつか並べ立てて、少し韻について思うことをつらねるだけのnoteにしようと思う。誰かに刺さりますように。
Queenの曲は韻がばかみたいにいい。tight/sight の歯切れの良さと、misfire/desireの大きく喉の開く歌い方に強烈な対照がある。この曲の緩急、緊張感はまさにこの部分に凝縮されている。
これは曲全体が韻のためにできているので特殊な例ではあるがあまりにもこのワンフレーズの与える印象は強くそして美的すぎる。押韻のためだけに強引な倒置法によって原型不定詞come が前に引っ張られ、結果として、Lの音ふたつが鏡を挟んで立ち尽くしているような繊細な、非日常的な印象をもたらす。というかSimon&Garfunkelの韻感覚と発音はありえないくらい美しく、Sounds of Silenceの頭韻もそもそも。。。
それからこれの「四月になれば彼女は」という邦訳私はそんなに嫌いでない。内容的には誤訳っぽい印象を与えるけれど、どこか感覚的に嵌る。なれba/かのじょwa の通底、四月に/なれば/彼女は の三つ区切りのリズムなどが元の文の詩的なバランスをぎりぎりのところで翻案したという印象を与える。
「新しき」のよみは「あらたしき」。
「う」しかい、「う」た、と来て「あ」らた、「おお」いに「お」こる。徹底的なまでに母音を駆使して晴れやかに力強く堂々と新しい時代を歌い上げる。母音の持つパワーを全身で感じさせられる。
「みんなみ」「みねおか」「みえにける」。民謡のような節回しのついたエネルギー、それは真っ赤な火の色として見えてくる。
ラスボスSufjan Stevens 。こればかりはあのとりあえず読んでくださいということしか言えない。読んでください、発音してみてください。ありえないでしょ?ありえないんですよ。最初にこれを聞いた時の衝撃が私には忘れられない。というか数年前に最初に聞いた時、単語の意味は殆どわかっておらず、それでもこの精巧な韻の設計は耳から私を打ちのめし、それ以来何度聴いてもここで巻き戻してしまう。彼のアルバムの中でもこれより研ぎ澄まされた技巧的な韻はないかもしれない。
なんかこれ以上書き連ねるとアレなのでもう少し真剣に翻訳可能性とか詩論をべんきょうしながら短歌とも絡めながらまたnoteにしたい。今のところはこれだけしか書けなかったからこれでもういいや。尻切れとんぼですが書きたいきぶんを解消しただけで良し。全員Sufjan Stevens を聴いてください。そういうことです。