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ユニバーサルマナーについて再び
先日、ユニバーサルマナー検定1級の受講をし、最後のレポートを提出したところだ。
私の記録としても、今考えているユニバーサルマナーについて、再び記事に書こうと思う。
前回の記事はこちら。
「ユニバーサルマナー」とは「多様な方々へ向きあうためのマインドとアクション。”自分とは違う誰かの視点に立ち行動する”ことを特別な対応ではなく、『こころづかい』の一つと考える。」とある。
ユニバーサルマナー、ユニバーサル検定については、以下を参照してください。
このユニバーサル検定の受講をした後、自分がしているユニバーサルマナーなアクションはどんなことだろうか、考えた。今最も身近な母と私のことを思い浮かべた。
私は、障害のある子どもと関わる仕事をしている。実家の母は90歳。
最近、母と私で交わした約束がある。「お互いが心地よく過ごすのが目標。プライバシーもお互いに守ろう」ということで、年齢も、過ごしてきた環境も全く異なる女性二人が互いに違いを認め、尊重する、これも今思えばユニバーサルマナーなマインドであり、アクションであったと思う。
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今回、ユニバーサル検定を受講し、私の目が更に開いた。「多様な人々」の中に、高齢の母も含まれている。普段、仕事で障害のある子どもに対し、ユニバーサルマナーなアクションをとっていると思っていた私であるが、身近なところで再度、「自分とは違う」ことを受け入れ、適切なアクションを起こしたいと考えたのだ。
母は、体の動きに制限があり、思うように動くことができない。また、いろいろなことに対し意欲が低下している。
以前の私は、「なぜできないの」「もっとこうしてほしい」という思いを抱いていた。しかし、「これが母なのだ」「母を変えようとするのではなく、私が変わればいいのだ」と、マインドを変え、アクションにも変化を起こした。
ある時、母が食事をした後、食器がそのままテーブルに置きっぱなしになっていた。一瞬「流しまで運んでくれればいいのに」と思ったが、「いやいや、手に持って歩くことが難しいんだ」と母の姿を受け止めることができた。そして、母に「ご飯、終わった?持ってっていい?」と尋ねると、「うん。ありがとう」と言われ、心の交流ができた。母が難しいことは私が補えばいいんだ。
またある時、洗濯物がたくさん乾き、取り込んだ。母に「たたむのお願い」と頼み、たたんでくれた後は、「たたんでくれてありがとう」と返す。全て私がするのではなく、母ができることは一人でやり遂げてもらう、それに対して、素直に感謝する。こういったやりとりができた。
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これらはほんの些細なことである。しかし、ユニバーサルマナーなアクションである。高齢の母の、できないこととできることを客観的に認め、こちらが一方的に助けたり押し付けたりするのではなく、母の視点でどうしたいか、どうすればよいかを考えた対応である。
私は、こんな些細なことをたくさん積み上げる、ユニバーサルマナーなマインドとアクションを心がけたい。