「家父長制と資本制・マルクス主義フェミニズムの地平」読書メモ
資本制に性別役割は規定され資本制によって創出されまた破棄されるとすると、いかような形であろうと資本制は存続し逆に生物学的実体かに見えた性差が相対的なものに見えてくる。とするとマルクス主義という言葉自体は宙に浮いてしまう。もともとマルクスは資本制の瓦解を言っただけでそれが実現していないだけなのだが、そうなるとあらゆる分析や施策はただ資本制の柔軟性を示すだけのものとなる。これはあらかじめわかっていたことでありよって当時この書がさしてインパクトなく私に感じられたのであろう。ここでいうマルクス主義は修正資本主義であり差別の撤廃が資本制の合理性に合う限りで機能するということになる。そこで果たしてなにか付け加えることが、語ることがあるだろうか。資本制は生き、人は死ぬ。それだけのことではないだろうか。