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【教育】子どものクリエイティブさが失われた?社会のせいにはしないで。
写真屋さんと話していたときのこと。
「卒業アルバムの思い出ページ、生徒さんたち凝らなくなっちゃったなぁって思って」
高校の卒業アルバムを思い出して欲しい。
集合写真や個人写真、イベントなどの写真ページの後、クラスごとに思い出ページが存在する。
クラスの色が一番出やすいところだ。
おすまし顔や気取った顔ではなく、日常的なナチュラルな生徒たちの顔が思い思いでごちゃごちゃにコラージュされ、一見カオスなのだけど、高校生らしい若いエネルギーが感じられる青春ぽいページ。
(ジェンダー的にどうなのって意見もあるのを承知で)男子が女装した写真が貼られていることはよく目にしたし、教え子たちの「愛ある」落描きがもれなく足される担任の弄られ写真は王道、若気の至り的要素満載の、高校生の特権階級的ページである。
それが、おとなしくなっちゃった、って話だ。
写真屋さんにある過去の卒業アルバムを20年分くらい見せていただいた。
差は歴然で、確かにおとなしくなっていた。
私が高校生だったのは、かれこれ20数年前。
卒業アルバムの思い出ページにはやけに力が入っていた。
当時、アムラー的ファッション、ヤマンバギャル、厚底ブーツやルーズソックスなどのブームが世間を席巻し、イケイケ(!)な世の中。
プリクラは撮りまくっていたし、プリクラ帳のデザイン性が高い子はたくさんいた。
ポスターカラーを持ち歩き、描けるところには何にでもデコレーションしてた。ノートとか写真とか、または窓とか。笑
そういう時代を生きてきた我々世代なら、思い出ページを作ることに慣れている。
時代背景が完成度を上げることにつながっていたのではないかという考察は、あながち間違っていないと思う。
一方、現在は。
科学技術が発展し、人の手を借りなくても機械がなんでもこなしてくれる世界。
人が考えることをしなくても良い分野が増えた。
映画は、事前に評価やダイジェストを確認し、観るか観ないかを判断するらしい。つまらない映画だったら、時間がもったいないとのこと。
書籍は、YouTubeに要約されたものがわんさか出ている。タイパを求める現代人は本一冊読む時間をもったいないと思い、なる早で要点を掴める動画を好むらしい。
そういう世界が、若者のクリエイティブさを奪ったのだ。流れでいくと、着地点はこうなる。
でも、本当にそう?
写真屋さんを批判するわけではないのだけど、そもそも論からいくと、思い出ページの出来の良し悪しは誰が決めるの?ってところから。
ごちゃごちゃしたページは、確かに高校生らしくて愛おしい。
でも、今の時代的に「それ」が受け入れられていないのではないかって話。
当時のようなページの在り方を、今の高校生がかっこいいと思うかどうかは分からない。
評価基準が時代と共にアップデートされたのではないかと私は捉えている。
そのときそのときを生きる時代が反映された思い出ページ、価値観がそこに現れるのは当然で、今の時代が映し出す、スマートで洗練されたページをクリエイトしてくれる生徒たちはきっといる。
話が脱線するが、こういうのが得意な子、苦手な子ははっきりと分かれる。
好き嫌いも分かれる。
さらに、興味の有る無しも分かれる。
それは時代関係なく、あるはず。
話を戻す。
だから、「凝らなくなっちゃった」のではなく、「凝った結果がこれ」なのである。
「時代だね」の一言に、
憂いを乗せるのか、
または希望を乗せるのか。
見方が違ってくるぞ。
さて、我がクラスの思い出ページはどうなることやら。気合いが入っている模様。
受験勉強>思い出ページ制作
であることは肝に銘じて、適度に頑張っていただきたい。
では、また!