見出し画像

【記録】晴さんの思考を通して、自分の「からまり」を観察してみる

『からまる毎日のほぐし方』を読んだ。
だいぶ前に読み終わった。
予約して購入しているから、手に入ったのも早くて。
装丁も素敵すぎて、本棚に入れず、机の上に表紙を上にしてしばらく置いている。

そうか、私たちはミドルエイジなんだ。
その属性に、ゾクゾクとしてしまう(ダジャレではない)。
いつの間にか、自分もそんな年齢になってしまったのかと憂うのもミドルエイジの性?

いや、「自分らしく」生きている人たちは、憂うこともなく、素敵に年を重ねていくことに喜びや楽しさを纏う余裕があるのだと思う。
ーーつまり私は、この年齢に置かれている自分という存在にすら、からまっているのだ。

本の感想はたくさんの方が述べてらっしゃると思うので、私は、本を通して考えた「じぶんごと」をつらつらと書いていこうとする。

まず、章立てを見て、納得してしまった。
漠然としたモヤモヤをこんな風に項目分けすると、しっかりと可視化できる。
晴さん、さすがである。

さらにその各項目をここまで細分化されると、世の中のミドルエイジ的からまりは、もはやこの本に掲載されているもの以外は存在しないのではないかとさえ思う。
モヤっとしたときにそれを記録しておくことは、自分の日常を振り返る際に大変有用なのだということを知る。

そう言えば晴さんも、モヤモヤをノートに書いていると以前言っていた。
しかもそれは人に見せられるものではない、とも。
自分だけが知る、自分だけが感じる、自分だけのモヤモヤに対峙することを決して恐れない。
そういうスタンス?
と言うか、本を読み進めて気づいたのだけど、そもそもそういう自分の中の違和感って、そんなに悪いことではないのではないか?という自分の中の気持ちの変化を感じる。

エッセー本を、実はあまり読まない私。
「これが学び!」という、ひどくダイレクトなメッセージを真正面から受け止めることに慣れすぎてしまったビジネス本&自己啓発本の読者である私には、非常に新鮮だった。
この本を読んだ方々が、「晴さんのご著書の中では、これが一番好き!」という感想を口にしていたらしい。
なんか、わかる気がする。

ただし、私は優劣はつけない主義。
これまで読んだ晴さんの本全て、とても良かった。
こんな感じで、今までのご著書とはベクトルが違う類の本だと、晴さんとの距離感がより心地良い感じがするという点では、「確かに〜」って思うけど。
どれも好きです、はい。

さて、読み進めながら、いろいろと自分のからまりのあれこれと向き合うことになるのだが、それが全く押し付けがましくない。
のではあるのだけど、読むことで自分を投影させるという行為は、どこかで痛みを伴うものなのだと実感する。
逆に言えば、そのきっかけをくださったのがこの本で良かったな、と。

傷を負いながら自分と向き合うなんて、それを使うだけのリソースは残っていない。
ガソリン満タンにして、よし、今から自分の棚卸しだ!って鼻息荒くエンジンを吹かさないとなんだかできないような気がして、それを避けていたのかもしれない。

迂回しまくって、今。
ミドルエイジって、そんなことも考える世代なんだなとしみじみする。

さて、自分のからまりの代表をここに記しておく。

恥を晒して公表するが、私は職場の若い先生たちへの嫉妬心にからまりまくっていることに、しっかりとした自覚がある。

教師としてのスキルがついた。
指導力が向上した。
経験値が上がった。

それに伴って、周囲からの評価がついた。
当然、生徒からも保護者からも同僚たちからも、好意的な見られ方をされるようになった。
でも、それを実感すればするほど、それと反比例し、自分が心地良いと思っていた生徒との関わり方や距離感が希薄化していくのを感じる。
至極自然なことなんだけど。

若い頃は、早く一人前になりたいと思っていた。
生徒になめられないようにしないと、って。
保護者に信頼される年齢に早くなりたい、って。
自分よりちょっと上の先輩方が生徒を魔法のように指導して、芸術作品のようなクラス運営をしているのを見て憧れた。

今、自分はその域に達した。
とても喜ばしいことなのに。
なぜか寂しがっている自分がいるのだ。

結婚をした。
子どもが生まれた。
やることが際限なく現れる。
それをこなす、こなす、こなす。
でも、仕事への情熱は失いたくない。
うまくやりたい、卒なくやりたい。
・・・って思っている自分の裏側に、
うまくやりたいわけではなくて、
卒なく遂行する自分になりたいわけはなくて、
・・・そう思っている自分が、確かにそこにいる。

今の自分に、制約が付きまとう。
制限が生じる。
それはどうしようもないことなのに、それを受け入れられない感情にずっとからまっていることに気づいてしまったのだ。

だから、それが自由にできる若くて青くてフレッシュな先生たちに、嫉妬という形で自分の感情が透過されていく。
すごく嫌だ、この感じ。

ただ、このことに気づいたことで、自分が大切にしていることにも気づくことができた。
「嫉妬」は、自分が大事にしていることや、自分に足りないと思っていること、気にしていることに対して起こる感情らしい。
私がどこにプライドを持って生きているのかのヒントが、この感情に隠れているのだと思った。
だから、丁寧に丁寧にその感情を向き合うことで、ほぐし方を自分自身で見つけることができるのかもしれないな、とも思った。





知恵の輪。
幼い頃に、なぜか家のどこかに転がっていた不思議な存在。
私はそれを、自分で解いたことがない。
父親は、いとも簡単にそれを解いていた。
見ていて不思議だった。
なぜ?大人だから?って。

違う、
解き方を知っていたんだ。
私は、力任せに引っ張っていただけ。
強引さでは、答えを出さない。

からまる毎日。
私はまだまだからまりから脱出できそうになくて、きっとこれからもお付き合いは長く続くことになると思う。

ほどけそう!そう思えたら、光が見えるのかもなって、ちょっとだけポジティブになれそう。
そう思わせてくれたのが、このエッセー本。
長い長い旅路を共にしたいと思える、お守りみたいな本になりそう、旅の友、的な。

世の中には、からまる友が大勢いる模様。
からまり方も千差万別。
からまる年齢についに入ったか!と、くすっと笑えるくらいの余裕ができるまで、もう少しからまってみることにする。

秋の夜長、読書。
からまる本には、チャイティーラテを添えて。

では、また。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集