25年ローンを完済した土地を父親が騙し取られた話
父親が務める会社が倒産した。
色々な人から聞く限り、いい加減な経営だったらしい。収益に見合わない高い役員報酬、使途不明な経費、経理も杜撰でほぼ計画倒産のようなものだった。それでも多方に影響があったらしく、負債額は数億円に到達したと地方テレビの夕方ニュースで報道された。
私の両親は、この倒産に巻き込まれ、自らが購入した土地を失う結果になったが、それは自業自得とも言えるような内容だった。この一件がどのような経緯を辿ったか、ここに書き記しておく。
免責事項
はじめに書いておくが、本記事の内容は障がいに苦しむ方や自身の境界知能に悩んでおられる方を、差別したり、攻撃したりする為に書かれたわけではない。障がいは人間にある特徴の1つであって、何ら罪ではない。
本記事の趣旨は私の父親が引き起こした経済的な損失と、家族全体に与えた被害の大きさを記録する為に書かれたものである。そうした描写を不快に感じる可能性がある方は読まないことをお勧めする。
25年間
父親はその会社に私が小さい頃から勤めていた。基本的に土日も出勤で、賞与もなく、手取りで月20万円行かないくらいだった。私は子供心ながらに給料が安すぎるのではないかと勘付き、あまり良い印象を抱いていなかった。今思うと、ブラック企業というレベルのものではない。
母親はパート従業員だった。大卒のはずなのだが、事務職や正社員を目指さなかった。午前5時に出勤し、午後10時に帰宅するような日を何日も続けることもあった。正社員でもないパートなのに、正社員よりもよく働いたが、当時は時給が800円台なので、正社員の水準には到底到達しなかった。
貧乏暇なしとはよく言ったもので、本当の貧困にあえぐ者には金と時間がない。そんな両親の部屋は、いつも生乾きの洗濯物が散らばっていた。掃除もできないので、いつも床はごちゃごちゃしており、足の踏み場もなかった。いつも部屋には埃がキラキラ舞っており、カビ臭い匂いがした。
一番多感な小学生の時は、結局どこにも旅行に連れて行ってもらえなかった。夏休み明けは友達の旅行話をたくさん聞いた。ハワイに行った友人が現地の写真も見せてくれた。本当に羨ましかった。今年は無理かもしれないけれど、来年こそは自分も家族旅行に行けるはずだと期待した。
結局、家族旅行と呼べるものは一度もなかった。
母親のベットの側には、いつも空いたままのポテチの袋や食べ終わったプリンの容器が転がっていた。部屋無相応に大きなベッドを買ったらしく、他に家具を置くスペースがないのでベッドの上で食べる。いつもベッドには何らかの食べかすが落ちていたが関係なしにその上に母親は寝た。母親が家にいるときはそのベッドのふちに腰掛けて、口を開けて小さなテレビをぼーっと見ていた。
そんな母親は重度の肥満で、糖尿病を患っていた。私は何度も食生活を見直すように言った。大抵の場合、私の事を無視してテレビを点けるか、自分はお菓子など食べていないと、足元にお菓子の袋を散らかしたまま、言い訳した。
そんな両親との生活は貧困・虐待のオンパレードだった。小学校の給食費が払えない。家賃が払えない。「学費が払えないから公立に落ちたら中卒で働いて」と言われたこともあった。死ぬ気で勉強した。
父親は勤める会社で相当こき使われているらしく、帰宅後よく子供にあたって暴力を振るった。大人になってもなお残るくらいの大きな怪我も負った。子供はそれぞれ歪んで育った。毒親というやつだ。
そんな家庭だったが、唯一財産と呼べるものがあった。
ちょっと見晴らしのいい地域に土地を所有しており、そこからは遠くに海が見えた。バブルの時に土地を3500万円ほどで購入したと聞いた。月々4〜5万円は支払っていたと思う。この収入で子供のいる家庭にはかなり厳しい金額である。
母親は親戚に金を借りに行ったり、私の銀行口座から金を盗んだり、部屋に溜めておいた貯金箱を勝手に持ち出して、支払いに充てていた。子供だった私は、いつも突然貯金がなくなるので、当然母親に腹を立てて文句を言ったが、母親は「だってしょうがないじゃん!」と開き直るばかりだった。高校生になってからは、奨学金を勝手に使い込んだこともあった。当然帰ってこなかった。
土地と家はセットで買うのが普通だが、両親は何故か土地だけを購入していた。いや、購入させられたという方が正しいかも知れない。なんにせよ、私が成人してしばらくするまで、その土地はずっと空き地だった。
私たちが成人してしばらく経って、ついに土地のローンを完済した。貧乏な我が家には久しぶりに明るいニュースだった。束の間のささやかな喜びを味わった。
「お父さんの会社、倒産しちゃった」
ある日、そう母親が言った。私は特に驚くでもなく、まあそうだろうなという気持ちだった。私は暴力を振るってくる父親が大嫌いだったので、どうでも良かった。
しかし次の言葉に私は耳を疑った。
「会社が倒産するから、私たちの土地も、銀行に取られる」
意味が全く理解できなかったので、どういうことかを問いただすと、うちの父親は会社の借り入れの担保として、例の土地を抵当に入れていたのだという。今回会社が倒産するに当たって、整理対象となり、例の土地は我々の手を離れるということだった。母親はどこか他人事にそう言った。
当然家族会議になり、家族はうちの父親に何故そんなことをしたか問い詰めた。父親は一度転職を試みた時に、転職先を見つける前に辞めてしまったため、無職になり、その後転職先が見つからなかったため、元の会社に出戻る形になったが、その時の条件が土地を抵当に入れることであったという。
これには両親以外の全員が呆気に取られた。一番穏当な家族が「お前自分の命の次に大事な土地を赤の他人に渡すなんてバカじゃないのか!」と怒鳴った。その様子を見てもなお、父親はキョトンとしていて、事態の重大さに気付いていないようだった。
当然、一時間以上両親は詰問されたが、父親は最後には訳のわからない言葉を叫びまわり、自室に閉じこもってしまった。部屋に残された母親は常套句「だってしょうがないじゃん」を繰り返すばかりだった。
土地の権利を抵当に入れた真実
まだ何か隠している予感がしたので、土地を入手した経緯を母親に問いただすと、ついに一番の秘密を白状した。土地は父親が銀行勤めをしていた時に、上司がローンで買うように勧めた土地なのだという。しかも銀行をその上司と一緒に退職し例の会社を興したのであった。
当時土地の人気が高かったため、土地は希望者の抽選を経て売買されたが、その抽選を主催したのも上司だった。つまり上司主催の抽選で、父親が上司の勧める土地の購入券に丁度当選したというのだ。この時点で十分に怪しすぎる話である。
つまり、補完して話をまとめると、
上司と私の父親は同じ銀行に勤務していた。
上司は自身の成績のために、父親を煽って身の丈に合わない土地を抽選を誤魔化して購入させた。一番土地の価格が高騰している時だった。
上司は銀行を辞めて、会社を興そうとした。その時に父親に目をつけた。
父親はまんまと騙されてしまい、上司と一緒に銀行を退職した。
上司の会社は給料が安すぎて転職を試みた。結局転職に失敗したため、元いた会社に戻ろうとするが、上司は代償を要求した。上司は自分が購入させた例の土地を出戻りの代償とした。
ということである。よくぞここまで完璧に負け犬をやったものである。
25年以上も、子供の銀行口座や貯金箱からはした金を盗んでまで、親戚に金の無心をしてまで、子供を高卒にしてまで、支払った土地のローン。子供のために本来使うべき、食費、学費、旅行・娯楽費などの必要なお金は、家族ではなく赤の他人の懐に入っていたのだ。
一連の話を聞いた家族は「流石にバカだとしか言いようがない」「二人で騙されたんだよ」と口々に言った。当事者として詰問されているにも関わらず、集中力のない母親は、点いていたテレビの内容に気を取られているようだった。自分が怒られている最中に、いつものようにテレビ画面を口を開けてぼーっと見ていた。テレビは家族が消した。
静まり返った部屋で、私の両親は生まれながらの負け組、社会の養分として子供時代を送っただけだったんだなと感じた。同時に、周囲の家族が何故あんなに幸せそうなのかを悟った。
事件の余談
負債整理に関する銀行との交渉では、土地を売った金額の補填分を支払ってくれるならば、抵当に入れた土地の権利を返すことを視野に入れるとの決議が出た。つまり銀行から買い直すと言うことである。土地の価格が大幅に下落しているとはいえ、しかし銀行の提示する金額はゆうに1000万円を超えており、両親には当然支払うだけの貯金がなかった。
両親の愚かさは底なしだった。今度は自分の子供名義で再度ローンを組むことを考えた。母親が「名義だけ貸して、返済はお父さんとお母さんがするから!」と家族に頼んだらしいが、支払えるわけがない。結局「バカが!死ね!」で断られ、結局、土地は整理対象として市場に消えた。
ちなみにブチギレられるとわかっていたからか、私には相談すらなかった。銀行内でも色々な事件があったというが、詳細は知らない。
母親がこの件を弁護士に相談したのは、負債の整理が済んだ半年後のことだった。弁護士には「もっと早く来て下さるべきでしたね。できることはありません。」と言われたらしい。家族は弁護士に半年も相談していなかったことにそこでも驚かされた。すぐに相談していればできたことがあったらしいが後の祭りだった。
父親は事業整理の日に会社を後にする社長に、直接文句を言いに突っかかったらしいが、適当にあしらわれて終わった様子を家族が見ている。泣きじゃくる子供の頭や顔を何度も大人の力で殴り怪我を負わせたくせに、自分より強い人間には一言文句も言えない家畜のような存在が私の父親であった。
親の境界知能の疑い
私は両親の様子が周りと違うということは子供ながら早い段階から分かっていた。成長とともに、両親の知能を追い越していく感覚があったからである。中学生くらいで、両親の知能が自分より低いことを確信するようになった。両親は中学生1年生くらいで精神的、能力的な成長が止まっているというのが家族としての感覚である。
知能の低さが引き起こすと思われる、具体的な症状としては以下のようなものがあった。
自分が気に入らない事があれば大声を出す。
一度パターンが出来上がるとそこから少しでも外れる行動が一切できない。いつもの茶碗がないのでいつまでもご飯を食べられない、など。
人の話を聞く集中力がない。話をしている最中にテレビの画面に集中してしまったりして、話を最後まで聞くことができない。
1つの話題に集中したコミュニケーションができない。話しているうちにどんどん話題が飛んでいく。
対人恐怖症。相手が店員でも知らない人に話しかけることができない。レストランで注文することができない。一人で買い物ができない。
年齢不相応にとにかくよく喋る。テレビ番組などにいちいちコメントしたり、意味のない感想などをその空間の誰に言うでもなくよく喋る。
子供ですら気づくのだから、社会ではすぐに気づかれる。良識ある大抵の大人は無視するか馬鹿にするだけだが、今回は上司のように悪意のある人間が近くにいたため、致命的な結果をもたらした。
両親の過去
話を聞いた限りでは、高校生の頃から両親は付き合い始めた。しかし度を越していつも一緒に居たらしく、高校で「病気の二人」と話題になっていたようである。このことは父親の両親も知り合いから聞かされていたほどなので、相当酷かったようである。
推測するに、生きづらさを抱える似たもの同士が出会ってしまい、依存関係になり、そのまま離れられず結婚したようである。うちの両親に限定して言うが、産まれてしまった子供の立場からして、本当にはた迷惑である。
境界知能を確信する事件
ある日、父親が路線バス内で乗客の男性とトラブルを起こし、バスを運休させる事件を起こした。公共交通機関が止められたことで、警察が出動し、父親は逮捕されて勾留された。しばらくして釈放されたが、再度家族会議が開かれた。
「土地の失敗をした上でお前は一体何をしているのか!」と怒鳴る家族に対して、大声を張り上げ返した。「俺は悪くない。あいつが睨んできたから!」
ここで私は父親の境界知能を確信した。こいつは明らかに知能が平均に到達していない。あまりに理性が無さすぎる。発育が中学生くらいで止まっている、普通ではない。そういえばこんなのと何十年も暮らせる母親にも、同じような傾向があるのではないか。
一方で、今まで疑問だったことが全て寛解した。
私の両親は境界知能だったんだ…
私は境界知能の親のもとに生まれた子供なのだ…
一気に絶望感が押し寄せた。
ちなみにこの事件は次の日の新聞に小さく載った。
終わりに
結局、父親の人生とは、まさに悪い人間に騙され尽くした人生だった。境界知能は悪意のある人間に騙されやすいということを、両親は今回は身をもって知ることになった。
以前、父親は例の土地の近くを通るたびにわざわざ寄って、土地の様子を確認していたが、今はその地域に近付きすらしない。その地域に行く用事がある時は自分だけ留守番するほどである。
現在、その土地にはベージュの家が既に建っている。どうやら銀行からとある家族に売買がなされたようである。両親以外の家族はたまに車でそこに寄って、自分の両親の愚かさと危険性を認識する戒めとしている。我々はそこにいくと全員無言になる。
身の丈に合わない土地を購入しなければ?
せめて母親だけにでも正常な知能があったら?
どちらかが誰かに助けを求めていれば?
愚鈍。そうとしか言いようがない。私の両親に限って言えば、自分たちの実力以上、人並み以上の幸せを望み過ぎた。強欲は身を滅ぼす。
馬鹿な二人は、何千万円も騙されたことを忘れたかのように2024年10月現在も毎日楽しそうに生きている。二人にはこれ以上周囲に迷惑をかけずに、さっさと死んでほしいと思っている。しかし、こういう親なので、健康が問題で勝手に死んでくれそうである。
最近、母親は糖尿病が悪化し、手の震えが止まらない。皿を運ぶときにあまりに手が震えるので、中身が飛び出すほどである。脚も非常に浮腫むようになった。長年にわたって体重がかかり続けた膝は変形し、階段の昇り降りは一段ずつゆっくりとしかできない。これが拍車をかけて余計に運動しなくなった。しかも複数の糖尿病の薬を服用してなお、隠れてお菓子を食べ続けている。かりん糖やバームクーヘン、アップルパイなど、あまりに糖度が高い物を一袋一気に食べてるので、私は毎度やめるよう言うが、「食べていない」と聞こうとしない。食べかすを口につけたままテレビに意識を向け、ぼーっとしている。風呂に入るのも億劫らしく、近付くと魚が腐ったような腐敗臭がする。この調子でいけば、もうじき脚から水が出るようになると思う。
父親は母親が近くに居ないと何も出来なくなった。料理や洗濯、買い物などは全て母親だよりになり、コンビニで買い物も、簡単な調理も、ネット注文もできない。母親が同じ部屋にいなければ、ひとりでご飯も食べられない。ただし、母親が同じ空間に居る時はなぜか強気になり、政治番組にあれこれ文句を言う。低学歴なので東大卒が憎いらしく、受験さえできない東大の文句をたくさん言う。もともとだらしない体系だったが、最近特に腹が出てきた。母親が出すものをそのまま食べているので、腹が出るのは当たり前である。父親も典型的な内臓の病気でそう遠くない未来に死ぬと予測している。
2024年にこんな馬鹿な親がいること、そこで苦しむ子供達がいると言うことを、インターネット上に記録しておく。もしも普通と違うなと思う人がいたら、もしかしたらこういう境遇で育ったのではないかと言うことをチラと考えて、少しだけでも優しくしてほしい。その助力になれば幸いである。
最後になるが、これだけの事態を引き起こした父親の口癖は『バカとハサミは使いよう』である。毎度、父親には、あまりの救いようのなさに笑わせてくれる。
以上
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