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「干支1周目振り返り」

おかげさまで無事干支を一周目を終え、レベル60となりました。昭和39年生まれの人の中にはとても残念なことに60未達で離脱した友人や知り合いもいますが、大半の仲間はレベル60を達成し、61に向けて二周目をスタートしています。

二周目を始めるにあたって、一周目で分かったこと、まあ、そのほとんどはnoteの記事にしておりますが、後々のためにも、これを機にサマリーしておこうと思います。


自分の人生は自分で作る

成長力が最も大事

最初の出発点は親からインプットされたところから始まるし、学校で教わることなんて自分の人生に対しては無責任なもので、結局は成長する力、つまり「継続的な学習や思考による行動変容を伴った自己変革力」が全てと言っても過言でないと考えます。

メタ認知なしでは成長もなし

しかし、その成長力もメタ認知能力が前提で、メタ認知にもレベルがあると考えています。つまり、メタ認知自体も成長の対象だということでもあります。

そして、メタ認知なしではご機嫌に暮らすこともできないということです。

心技体ではなく体技心

言葉としては、心技体が有名ですし、成長期の教育においては心技体でいいと思いますが、成長期が終わったら、体技心にスイッチしたほうがいいと思います。健全な肉体なしに技の習得もないし、心の置き場所も失ってしまうからです。

自分のご機嫌は自分でとる

人にご機嫌を取ってもらうのが当然と思っている甘えた人間にはなりたくないですねぇ~。初めて歩いて転げて泣いた時から、無責任で事勿れ主義の優しいふりだけの親に起こしてあやしてもらっていたんでしょうけど、大人になっても甘えたままじゃ話しになりませんね!

自分のご機嫌は自分でとるものだと、私は考えます。

人間万事塞翁が馬

振り返ってみれば、確かに色々な事がありました。良い事も悪い事も、嬉しい事も悲しい事も、楽しい事も残念な事も、僅かな成功体験と沢山の失敗を重ねてきました。

大切なことは一喜一憂することなく、事勿れ主義に陥ることなく問題に対峙しその時その時の全力を尽くしていけば、人生は良い方向に繋がっていく実感があります。

まさに「人間万事塞翁が馬」かなと。

「人間万事塞翁が馬」
人生幸せも不幸せも予測ができないということ。一見、不幸せに思ったことが幸せに転じたり、その逆だったりすることがあるので、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。

以下の手紙シリーズは自分の子供たちに読んでもらおうと思ってまとめたものですが、別に後悔していることを記したわけではなく、学んだことを手紙という形にしています。
決断しなかったこと逃げたことへの戒め、勘違いや思い込みへの戒め、悪習への戒めなどですが、まさに何が幸いするかわからない人間万事塞翁が馬です。

家族や仲間の笑顔を大切にする

事勿れ主義は未来の破壊

「人間万事塞翁が馬」と言いましたが、事勿れ主義の結末はハッピーエンドにはつながらないと確信しています。特に家族や仲間に影響する場合には、未来への禍根(負債)を残し、いつの間にか利子が膨らんで、爆発するケースを沢山みてきました。

自分に関わることだけで済むのならいいのですが、多くの場合には家族や仲間への禍根を残す事勿れ主義はすぐにでもやめた方がいいでしょう。

健康は大人の責任

家族や仲間を大切にするが故に自己を犠牲にするという心理に陥っている人に会うことがしばしばありますが、極めて無責任で身勝手であり、大きなお世話であり、むしろ大迷惑なことに気付いて欲しいですね。
積極的に健やかに生きることこそ、大人としての責任だと思います。

感謝はしても求めない

感謝を求めるくらいなら、やらない方がましだと考えています。ギバーとして他者に貢献するのは、主体的に行っていることです。もちろん有難迷惑にならないようにする必要はありますが、少なくとも「やってあげようか」「やってあげる」「やってあげた」「やってあげたのに」という言葉はもっとも忌み嫌う言葉であり、自分の中には存在しないものです。

ただ、テイカーには与えないよう注意しないといけませんし、マッチャーとの付き合いも面倒なのでできれば避けたいところです。

世の中とは折り合いをつける

もはや正しいとか間違っているとか、そんな話しじゃないんですよねぇ~。地球温暖化問題で脱炭素がどうとか、コロナでワクチン打つ打たないとか、LGBTQとか同性婚の是非とか・・・。

ひとつ言えることは、どうであれ世論が作られ、それでお金儲けをしたり、生活を営む人がいて、既得権益が作られていって、強固な集団となっていきます。その良し悪しがどうであれ、その流れ自体を個人としてコントロールできるものではありません。一方、その流れに迎合する必要もありません。折り合いをつければいいんです。

世の中はインチキだらけ

物心つく前から、親や周りの大人に寄ってたかって周囲と比較され、幼稚園でのかけっこやらお遊戯レベルでも競争を強いられ、学校に入ると詰め込まれた知識の記憶力の良し悪しで並べられ、それの出来次第で進学先や就職先、ひいては生涯年収が決まってしまうような社会です。大事なのは価値発揮能力を決めると言っても過言でない思考力なのにその訓練は全くといってありません。理不尽な社会です。私が専門としているITやDXについても相変わらずのガラパゴスで、間違ったことを正しいと思い込まされているエンジニアやコンサルサントだらけです。まさに全員でインチキを正当化している社会です。

個人としては、そんな現実を踏まえて、賢く折り合いをつけながら生きて行くしかないということです。

人を値踏みしない

そもそも人を値踏みするときの物差しの正当性なんてあるんでしょうか?
そもそも測る物差しの長さが足りないということは考えないのでしょうか?
なんと都合の良い不遜なことでしょう。
そして、知らず知らずのうちに値踏みするときに使う、何ら正当性も合理性もない無責任な物差しに支配され、自分を見失っていくわけです。

なので、会社などで部下の評価をするなんて行為も、本当に嫌ですね!

付き合う人を見極める

物心ついた時から「喧嘩しちゃいけません」「みんなと仲良くしないといけません」と親や周囲の大人から寄ってたかって言われ続け、それが親や周囲の大人達のための呪いの言葉だったと気づいたのは、そんなに昔のことではありません。自分が親になっても、子供たちに「喧嘩しちゃいけません」「みんなと仲良くしないといけません」と自分のために言っているとも思わず当たり前のこととして指導していましたし・・・。

「おまえたち、ごめん。うそついてた。みんなと仲良くはしなくていい。」って感じで、今は前言撤回しています。

つまり、心が壊れてしまっている人や卑しい人、自分本位な愚痴を垂れ流すだけの人って少なからずいるんですよ。ちゃんと見極めて、そんな方とは接点をできるだけ持たないようにしないと、せっかくの人生の時間や情熱、お金などの資源を失うだけでなく、そういう人の生き方の片棒を担ぐ(餌を与える)ことになってしまい、「正直者が馬鹿を見る社会」を助長してしまうことになるわけです。

付き合う人はきちんと選ばないといけませんね!ギバーである私は、気を遣うマッチャーや、人を利用することしか考えていないテイカー、特にテイカーとは縁をもたない。もってしまったら離れる。切る。をしないといけませんね!

干支1周目のまとめ

結局、まとめてしまうなら、

  • 壮年期までに、いかに精神的にも経済的にも自立し、色んな依存をなくして真の自由に近づいていけるか?

  • 中年期以降は、肉体をしっかりメンテナンスして如何にして健康を作っていけるか?

が、ご機嫌に過ごしていくための鍵だなということですね。

もっとまとめしまうなら、「やるか?やらないか?」それが全てと言っても過言じゃないでしょう。

長文読んでいただきありがとうございます。読んでくださった方々の人生に少しでもお役に立てるならとても喜ばしいことと存じます。

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