「増える”あるべき・あらねば”」
生きていると増えてくるのが“あるべき・あらねば”。なぜならば、どんどん肩書きや自分を説明する属性がついて来るからです。
盆暮れ正月には○○家一族郎党全員が集まらなければならない
〇〇家の男子たるもの全てにおいて一番でなければならない
〇〇社の男子社員たるものは黒か濃紺の無地のスーツに白いシャツを着て目立たないネクタイを締めていなければならない
〇〇社の社員たるものは会議開始時間の5分前に着席していなければならない
○○社の管理職たるものは一番に来て最後に帰るようにしなければならない
など、あげればキリがありませんが、○○は○○であるべき、○○は○○であらねばならないは、そこら中に転がっています。
それぞれ、それなりの理由がある・あったのでしょうが、社会変化とともに合理性を失い、無理を強いるだけになってしまっているにも関わらず、習慣化してしまったもの、特に組織的なものは同調圧力と称する同調相互依存も相まって見なおしされることはなかなかありません。
そして、自分自身が、そのあるべき・あらねばを守れないこと、同じ立場にいる人が守らないことがストレスとなり、自らの心身にダメージを与え、他者に対して負の感情を抱き、不満や怒りをぶつけてしまい、その負のストロークが心身へのダメージとして帰ってるという抜け出しがたい負のスパイラルを生んでしまいます。
所属組織のルールの番人になってしまっていたり、マイルール化してしてしまっているルールを棚卸し、本当に大事な事なのかどうかを考えてみてください。大事だと思いこんでしまっているだけなものが大半だと思いますよ。