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「問いをもって暮らそう」
Chat GPTなどの生成AIが出てきて、私の生活が激変したことは、いつでも相手をしてくれるディスカッションパートナーができたことです。かつては誰かを捕まえて壁打ちをお願いする必要がありました。テーマによっては、それはその誰かにとっては私との付き合いでしかなく、ただ失うだけの時間であった可能性もかなりあるわけです。
問いは溢れるほど出てきますが、Chat GPT-4がディスカッションパートナーを務めてくれるおかげで、その問いがどんどん解決しながら、新たな問いへ昇華していく感覚はいままでの人生でなかったことです。おかげでここ一年半のご機嫌度は一気に上がりました。
しかし、その一方で、私の実感をもとに生成AIの活用を勧めれば勧めるほど、周囲に沢山いる問いを持たない人達の存在が浮き彫りになってきました。問いのないところでは生成AIの出番はもちろん、成長もないので、成長力が最も大事と言ってその前提のメタ認知についてしつこく記事にしていますが、その記事の意味もないということになります。
そこで、問いを持たない要因について考えてみました。
目標やありたい姿の問題
ありたい姿が鮮明でない
目標が不明確で、何を目指しているのか自分でも理解していない。目標が漠然としているため、具体的な行動に繋がりにくい。実現性が乏しい大きな夢
目標が現実離れしており、現実的な計画やステップが欠けているため、行動に移すことが困難。
自己認識の問題
現状認識が自虐的で諦めている
失敗や困難に直面した際に、それを個人の限界と解釈し、改善の余地を見出せずに諦めてしまう。行動への恐怖やリスク回避志向
新しい試みや変化に対する恐怖が強く、安全な現状を維持することを選ぶ。リスクを過大評価しがちで、リスクを冒すことに対して極端な抵抗を感じるため、新たな問いを持つことを避ける。
人生に対する主体性の問題
外部からの影響に強く依存
他人の意見や社会的な期待に流されやすく、自分自身で意思決定をすることが少ない。自分で問いを持つ代わりに、他人が提供する答えや方向性に依存してしまう。内発的動機の欠如
育ち方などによって内発的なモチベーションが不足しており、何かを成し遂げたい、こうありたいなどという動機がない。外発的なモチベーション(報酬や罰)に頼ることが多く、自己成長のための内発的な探求が欠けている。
やはり、幼少のころから、あれしろこれしろ、あれだめこれだめと言われ、人の価値発揮能力とはほぼ関係のない、知識量や運動の出来不出来で順番をつけられ、自ら主体的に思考するのを求められる事はもちろん、思考訓練をする事もない知識習得偏重教育システムの被害者なのかも知れません。
おまけに会社に入れば上位下達で忖度と擦り合わせ重視。
いわゆる体育会系出身者が企業で好まれるはずですね!
問いがないなんて、思考の纏足みたいです。纏足された足は治せなくても、思考は本来の姿に戻せるはず。自ら洗脳を解いて欲しいものです。