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探知機

「お前が戻ってきて、何が出来るんや」
 イワシの種類を選別しながら、親父が言った。黒い斑点のあるもの、目を見開いたもの、アゴが短いもの。よく見たら違いはわかるが、名前はわからない。覚えた記憶もない。漁師の息子なのに……。

 小さいころ、弟と二人で親父の仕事をよく手伝った。いや、手伝ったとは名ばかりで、実際は船に乗り作業風景を見ているだけ。ときおり出荷できない魚が網にかかると、親父が足で蹴る。甲板を滑ってきたそれを、弟と一緒にじっくり観察したり、海へ逃がしたりしていた。

 親父が話し相手になってくれるのは、決まって目的地まで行くあいだのラジオがつまらないときで、それ以外は仕事に集中しているか、競馬や野球の中継を聴いていた。もっと漁や魚のことを詳しく聞いておけばよかったと思う。

「今さら、帰って来てもなあ。仕事ないんか?」
 黙っている俺を見て、親父はさらに続けた。
「辞めたんか?」
「……うん」
 東京で会社が買収を受け、大手企業のグループ会社になり、人件費削減のためクビを切られた。失業保険で食いつなぎながら再就職に挑んだが、最終面接で落とされることが四度続き、心折られた。もう東京にいたくない。そんな後ろ向きな気持ちで帰って来たのである。

「イワシみたいやなあ」

 いつか親父が東京に来たとき、品川駅の通勤ラッシュを見て言ったセリフだ。船の中の生簀でウジャウジャ動くイワシと、朝の品川駅のビジュアルが被って見えたのだろう。大学卒業後、俺もその中の一匹になれた。しかし品川産のイワシで居続けることが、どれほど戦闘力が必要か、俺は知っている。東京では周りの人間や会社にも、過去の自分にも依存していたら、厳しい。

「お父さん、もうすぐ勝負やから、ピリピリしてんのよ」
 キャベツの味噌汁を飲みながら、母が言った。
「勝負?」
「そう、探知機探知機を買ったの」

 探知機探知機?
 聞き間違いかと思い、俺は黙っていた。

「昔と違って、今は漁も進化しとるからな」
 親父もそう続けた。親父が食卓で口を開いたのはそれだけで、あとは野球中継に集中していた。毎年同じ時期に同じ魚を捕り、同じ市場に出荷し、家では同じ野球チームを応援する。俺が生まれたころから、親父のライフスタイルは変わらない。それもそれで、高い戦闘力が必要なんだと思う。

 ◇

 親父に呼ばれたのは、翌朝だった。
「抑えといてくれんか?」
 そう言われ船までついて行くと、大きさに驚いた。昔よりふた回りも漁船が大きくなっている。親父も頑張ってるんだな……。

 親父は船に乗り込むと、生簀からヒラメを出してこちらへ滑らせた。俺が手袋を履きヒラメを抑えると、親父は首をおとし、いとも簡単に捌いていく。今日は町で大きなお葬式があり、そこで出すらしい。
 親父はそれからも生簀から魚を出しては、無言で捌いていった。俺は魚を抑えながら、親父の横顔を格好いいなと思った。

「なあ、昨日の……」
「ああ、大変やぞ。漁師も」
「うん」
 わかっているつもりだけど、親父からしたらわかってないのだろう。俺はもっと漁のことも、親父のことも知らないといけない。そう思った俺は、作業を終えて汗を拭う親父に近づいた。

「雇ってください!」
 
 俺は頭を下げた。もし、もし継がせてくれるなら、一つでも多くのことを学んで、この町で立派な漁師になりたい。帰って来て二日で、俺の心は決まっていた。
「今は、無理や。でも俺が勝負に勝ったら、居場所くらいは提供したるわ」
 それが親父の答えだった。
 確か昨日、母も『勝負』と言っていた。なんの勝負だろう……。
「勝負を仕掛けるんはな、一週間後や。天気が良かったらやけど」
「勝負って、なんなん?」
 親父はそんな事もわからないのかと言いたげな表情をした。

「お前な、魚がどこに多いかわかるか?」
「そりゃ、沖の方だろ?」
「違う。魚は、漁師がおるところにおるんや」
 言われてみればそうだ。魚群探知機を使って魚を追い、そこに漁師が集まるんだから。
「だからな、ワシは探知機探知機を買うたんや」
 昨日、母の口から聞いた単語だ。探知機探知機とは何だろうか……。

 そう思っていると親父は操縦室に案内してくれた。
「これが魚群探知機探知機。どこに探知機があるか、探知してくれる。つまり漁師の居場所がわかるんや」
 なるほど、確かに漁も進化している。

「じゃあ、どうすれば儲かるかわかるか?」
「魚を、たくさん獲る……」
「違う!」
 親父は今までの常識では考えるなと言うように、食い気味で否定した。
「魚をいっぱいとる漁師を、いっぱいとるんや」

 確かにそうだ。名人より、名人の雇い主。ビジネスマンより雇用主。まさか技術と根性がものを言うと思っていた漁師の世界にも、そんな考え方が浸透しているとは……。

 ◇

 一週間後、快晴だった。親父はくちびるを噛み締めて船を出した。俺の同乗も許してくれた。
 沖まで出ると、親父は魚群探知機探知機を作動させ、漁師の密集地を探した。
「ここだ」
 赤く点滅したのは沖合30km地点。俺はハンドルを切り、船をそちらへ向かわせた。

 到着すると小さな漁船の群れがいた。親父はそれに向かって、網を放った。まさに勝負。網に気が付いた小船は逃げ出そうとするも、親父の罠から逃げ出せない。一網打尽。あとは港に連れ帰って、雇用契約書を書かせるだけだ。
 これで親父は会社を設立して、町でも有力な漁業会社を営むことになるだろう。そうしたら、俺の居場所ももらえる。そこで腕を磨いて、親父のような立派な男になりたい。

 そう思った時だった。とてつもなく大きな音がして、船が揺れた。操縦室の窓から外を見ると、船に鉄の網が掛かっていた。慌てて飛び出すと、フェリー程のサイズの漁船がこちらに向けて網を投げていた。

 くそ……。

 どうやら近くに、魚群探知機探知機探知機を持ってる奴がいたらしい。僕たちの船は、いとも簡単に巨大漁船に引っ張り上げられた。
 はあ……。
 負ける親父なんて見たくなかった。
「資本主義のバカヤロー!」
 引っ張り上げられる途中で放った親父の叫びは、虚しく空へ抜けていった。

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ファビアン_ ✍🏻第一芸人文芸部
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