引っ越し×2
「本当に家賃6万なんですか?」
「ええ、安いですよね」
不動産屋の男とともに、気に入った部屋の内見に向かっている。
いくら条件が良いとはいえ、やはり実際に部屋に入ってみないと決断は出来ない。
もし住むとしたら、家具の配置をある程度決めたり、突っ張り棒をつかう場所の長さも測っておきたい。
しかし、いくら1Kとはいえ、高輪のデザイナーズマンションが6万だなんて。
破格だ、破格すぎる。
コンロも2口で、風呂トイレ別。メインとなる部屋の広さは10畳。
申し分ない。
こんな物件に出会えた私は、もうこの引越しの勝者だと言っても差し支えない。
「事故物件、じゃないですよね?」
「そのような記録はありません。ただ……」
「ただ?」
男は、資料を出した。
「前の入居者さんが行方不明になっていますね」
「え?」
「いや、でもここがなにか、事件の現場ではないですよ。ほら」
見せられた資料には、行方不明とだけ書かれていた。
「その人は見つかったんですか?」
「いや、それはわかりません。保証人であった親族が、入居者さんと音信不通になったあと、契約を解除したようです」
やはり何かあった。
しかし、ここが現場でなければ別に構わないのでは?
いや、なんだか不吉だ……。
でもこんな良い条件、ほかにはないぞ?
そんな葛藤と二人三脚で歩いていると、マンションにたどり着いた。
オートロックを解除し、部屋に入る。
玄関は広く、シューズボックスもある。
キッチンは広い。
脱衣所に洗面台があるのも気に入った。
やはりとんでもなく破格だ。
住みたい。
前の居住者がどうあれ、ここが現場でなければそれでいい。
「ちなみに、前の入居者さんの職業は?」
「プライベートなことなので、それは……」
確かに、と思ったが、彼も契約を取りたかったのだろう。
言葉では何も言わず、資料を再び見せてくれた。
【勤務先:TSUTSUMI ELECTRIC】
誰もが知る大手電機メーカーだ。
そんなエリートが何かのトラブルに巻き込まれるとは考えにくい。
となると、事故にでもあったのだろうか……。
「あれ、まだ家具がありますね」
私が決断しかけたとき、不動産屋は部屋のドアを開けてそう言った。
確認すると、箪笥やソファー、掃除機、本棚、洗濯機などがまとめられていた。
「親族が粗大ゴミにでも申し込んだのでしょう。業者がそのうち回収にくると思います。そしてクリーニングが終われば、鍵を渡せます」
「いや、そのままに!」
私はすぐさま、彼を制した。
家具や家電を捨てるくらいなら、私がいただきたい。
というのも、今の家のものは大学入学時に買ったセット一式だから、もう古い。
「服や本などの私物は捨てて、家具と家電は置いておいてほしいです」
「わかりました」
私は不動産屋に戻り、契約を交わした。
掘り出し物件を見つけることができ、最高に良い気分だった。
それから数日間、住むイメージを膨らませた。
そしていよいよ入居日。
引っ越し作業が終わり、残してもらったソファーに座り、一息ついた。
はああああ。最高だ。
酒でも飲もう。
ピカピカにクリーニングされたキッチンでジントニックを作る。
ツマミは大好きな柿ピー。
至福のひとときだ。
しばらくテレビを見ながら飲んでいると、柿ピーの破片を床にこぼしてしまった。
ほかにも、床には段ボールのクズや髪の毛たちが落ちている。
どうやら引っ越し作業で汚してしまったようだ。
確か、掃除機も残してもらっていたな。
私はクローゼットを開け、銀色のそれに手を伸ばした。
異変に気が付いたのはその時だった。
透けたゴミ受け。
その中に、小さな人が見えたのだ。
私は怖さのあまり、尻もちを付いた。
さらに遠くから観察すると、右に左に動き回っていた。
恐る恐る近づくと、彼は立ち止まりこちらを見た。
「だしてください」
パクパクしている口は、そう言っているように見えた。
右手はドンドンと、透明な壁を叩いている。
私は掃除機を掴み、ゴミ受けを開けた。
その瞬間、男が飛び出し、巨大化した。
中年のおっさんだった。
「た、助かりました。ありがとうございます」
「えええ、ええええ?」
「あなたは新しい住民の方ですか? 私は数ヶ月前までここに住んでいたものです」
まさか……。
そんなことがあるのか?
私が絶句していると、おっさんはホッとした表情で説明を続けた。
「私は家電メーカーに勤めており、最新の掃除機を開発していました。そしてようやく完成したのがこれなのです。ただ、吸収力が強すぎて……」
「吸われたのですか?」
「ええ。飼い犬に手を噛まれた気分ですよ」
おっさんはほのかに笑ったが、私にはそんな余裕はなかった。
「い、いつごろですか? 吸い込まれたのは」
「確か4ヶ月くらい前……」
「は? 食べ物や、排泄はどうしてたんです?」
「掃除機はカロリーメイトのかすなど、色々なものを吸っていましたし、ゴミみたいな場所ですから、お手洗いも、まあ……」
よく生き伸びたな。
たくましさに感動すら覚える。
「なぜ、小さくなったんです?」
「それがこの掃除機のすごいところで! 吸ったものを小さくするのですよ!」
おっさんは、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、嬉々として続けた。
「画期的な発明なんです。フィルターにある物質を組み込むことで、ゴミを圧縮して小さく出来るのです。するとゴミ受けを変える作業が減り、家事の作業効率が上がります。今まで理論上は可能と言われていたんですが、実験を成功し、実用化させたのは私が初めてで。そうだ、酸化プロキオニウムって聞いたことあります?」
説明はそれから20分続いた。
あまりよく分からなかったが、どうやら画期的な発明の犠牲となってしまったらしい。
「私、もうこの部屋を契約してしまいましたよ?」
「ええ、こんなことになったのですから、私は出て行きますとも」
「いいんですか?」
「まあ、会社に近ければ」
素直なおっさんだった。
仕事に人生をかけているのだろう。
情熱が伝わってくる。
だからか、「今すぐに出て行け!」と促す気分にもならなかった。
「それより、この掃除機を使ってみてくれませんか? 吸引力に感動しますよ」
「そんなに強いんですか?」
「ええ、自信作ですから。ほら、この柿ピーを吸ってみてください」
そこまで言うなら……。
私はスイッチを入れた。
す、すごい!!
台風のレベルじゃない。
まるでブラックホールじゃないか!
うあ、だめだ。
近くにいたら……。
私は気が付いたら、小さくなり、掃除機の中にいた。
外から笑顔のおっさんが「どうですか?」と口をパクパクさせている。
いいから!
はやく出せよ!
吸引力は分かったから!
ふと後ろを振り返ると、巨大なだいだいがあった。
これは、柿ピーだろうか……。
かぶり付いてみると、酸味が走った。
うへえ……。
ミカンの皮じゃないか!
しかも、たぶん、おっさんが吸い込まれる前の……。
まあでも、こんなに食料があるなら確かに数ヶ月、いや一年暮らせるかもしれない。
お菓子の家とは言わないが、食べ物の家に住んでいるみたいだ。
それに段ボールの壁は暖かそうで、ビニールは滑り台みたいで楽しい。
おっさんの言う通り、居心地は悪くない。
え?
ええ?
おっさんがいない!
どこ行った?
トイレか?
キッチンか?
音がしないぞ!
戻ってこい!
おっさんは夜になっても戻ってこなかった。
ここで一泊しないといけないのか?
煌々とした蛍光灯が眩しい。
まったく、何を考えてるんだよ!
私は段ボールを掛け布団がわりにかぶった。
さらに柿ピーの破片を顔に乗せ、アイマスクにした。
これでどうにか、眩しさは凌げそうだ。
はあ……。
まさか1日に2度も引っ越しをするとは……。
しかも掃除機の中に……。
翌朝、おっさんは戻ってきた。
驚いたのは、そこに不動産屋の男もいたことだ。
さらにおっさんは、私が入っているのと同じ掃除機をもう一つ持っていた。
まさか……。
こいつら……。
おっさんは私に向けて手を合わせ、掃除機を持ち上げた。
そのまま運ばれてたどり着いたのは、粗大ゴミ置き場。
おっさんはもう一度、私に向けて手を合わせ去って行った。
まさか……。
このまま……。
そういや確か、家賃は自動引き落としにしていたような……。