Anita B./アニータ・ビー(2)
ひきつづき、R.ファエンツァ監督の『Anita B./アニータ・ビー』について。
この映画は、一人の少女の成長と希望の物語を描いている一方で、終戦直後のユダヤ人たちの事情を考える際の手がかりを私たちに与えてくれる。
第二次世界大戦中にユダヤ人が迫害されたことは、文学作品や映画を通して小学生の頃から何となく知っていた。ただ、このホロコーストの悲劇は、戦争の終結に伴い強制収容所が解放されたところで幕が下りたのだとずっと思っていた。
実際にはそうでなかったことをこの作品は示唆している。つまり、映画からは、戦後もなおユダヤ人たちの人生にホロコーストが大きな暗い影を落としていたことが見て取れる。映画の登場人物たちは、それなりに穏やかな日常をおくっているものの、今いる場所から早く抜け出してどこか遠くへ行きたいと望んでいる。
戦後のヨーロッパに彼らの居場所はなかったのだろうか。そしてそのことが、結果的に、彼らを「約束の地」へと駆り立てたのだろうか。
今回は、登場人物たちの個々の境遇に注目して、当時のユダヤ人を取り巻く状況がどのようなものであったかという視点から、この映画を眺めてみたい。
映画は、第二次世界大戦終戦直後の1945年5月にアニータがハンガリーからチェコスロバキアにやってくる場面から始まる。実際、当時のチェコスロバキアにはハンガリーやポーランドなどからも多くのユダヤ人たちがやってきた。
アニータが恋をするエーリは、生まれはハンガリーだがポーランド系のユダヤ人である。恋人がナチスによって無残に殺されたことで、表には出さないが、心を痛めている。
そのエーリの兄アーロンは、熱心なシオニスト。パレスチナの地をユダヤ人のものにするためには武力行使が必至と考えている。「片方の手にはトーラーを、もう片方の手には武器を!」と豪語する。
一方、ピストルを腰に携帯している女性は、パレスチナ生まれのサーラ。もちろんシオニストである。ヨーロッパのユダヤ人たちをパレスチナへと導く役割を担っている。
ひときわ存在感を放っているのは、ユダヤ人コミュニティの長老「ヤコブおじさん」。彼はコミュニティの中心的人物で、身分証明書や働き口をユダヤ人たちに手配するなど、皆の世話役である。トーラーの教えを大事にし、ディアスポラのユダヤ人というアイデンティティに誇りを持っている。シオニストではない、いわゆる「伝統的な」ユダヤ人である。
ちなみに、ヤコブおじさんを演じているのは、イタリアでも有名な役者モーニ・オヴァーディア。彼自身も東欧系のユダヤ人である。
こうした人々に囲まれながら、アニータは縫製工場で働き始めることになるが、そこでダヴィドというチェコスロバキア出身の青年と親しくなる。ダヴィドの両親は典型的なインテリのユダヤ人だった。ところが強制収容所に送られることがわかったときに、息子のダヴィドを一人残し、自ら命を絶っていた。ダヴィドはそんな悲しい思いでのあるこの土地からは一刻も早く脱出したいと、近いうちにパレスチナへ渡航することをきめていた。
映画の中で、ヤコブおじさんのようなユダヤ人に愛着を感じるのも事実だが、何より印象的なのは、今いる土地で自分たちは歓迎されていないと感じ、安心して住むことができる場所を渇望するユダヤ人たちの姿である。
つづく