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出版・企画・デザイン「株式会社ファベル」が広報活動の一環としてお届けしている情報日記です。 http://www.faber.jp

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マガジン

  • 連載「サイボーグの哲学」

    執筆者:工藤孝史  人間は「自分のことをあれこれと考える」不思議な生き物。おもにデカルトの「情念論」を土台に「心」とはなにか、「からだ」とは何かを「サイボーグ」キイワードに考えます。

  • フランス語:翻訳と文法のはなし

    執筆者:小坂夏男  フランス語翻訳をやっていて気になることなど、アットランダムに書き留めます。

  • エッセイ・書評・コラム「読欲満点」

    ファベルの主催する参加型の批評空間。編集部を中心に、ゲスト執筆者を交え、気になる本や映画など、ジャンルにこだわらず話題を提供して行きます。

  • ボンジョルノ イターリア

    執筆者:坂口夏子  イタリアのメディアから面白うそうなものをピックアップして紹介して行きます。

最近の記事

ジャン=ジャック・サンペの一周忌によせて

昨年(2022年)の今日(8月11日)フランスの国民的イラストレーターであり作家のジャンジャック・サンペの訃報が世界を駆け巡った。この日の「ル・モンド」紙には「Le dessinateur Jean-Jacques Sempé est mort」(漫画家ジャン=ジャック・サンペ逝く)と題されたフランシス・マルマンド(Francis Marmande 1945~)の追悼記事が掲載された。 https://www.lemonde.fr/disparitions/article/

    • オンラインセミナー「AI時代に求められる『人間力』とは何か?」のご案内

      株式会社ファベル代表 工藤孝史が 2/19、3/5、3/19サツドラホールディングスCI室の主催する「サツドラ・ナレッジ・シェアリング」にて連続公開講座を担当します。ご興味のある方、ぜひご参加ください。参加は無料です。 第二回 サツドラ・ナレッジ・シェアリング AI時代に求められる『人間力」とは何か?
〜人間とロボットとの「コミュニケーション」について哲学してみよう〜
講師:株式会社ファベル代表取締役/札幌大学名誉教授 工藤孝史 
1回目講義 2022年2月19日(土)

      • サイボーグの哲学第3回

        〜前回(第2回)のまとめ〜 ・デカルトは「人間とは何か」を考察するに当たって「心:mind」と「身体:body」という二つの側面からこれを説明しようと試みました。 ・その哲学的立場、あるいは彼の主張の問題領域は、しばしば「心身問題」「心身二元論」「動物機械論」などと呼ばれます。 ・デカルトは、結論から言うと、人間には「心」と「身体」の合一(統合)を認めましたが、動物や機械には「心」の存在を認めませんでした。*)注1 ・その判断が正しいかどうかはゆっくり考えることにして

        • サイボーグの哲学第2回

          【おわび】 「次回から本題に入りたいと思います。」と書いてからなんと20ヶ月もの月日が流れてしました。結果的に「連載」と銘打ちながらも、長きにわたり一回目しか掲載がないということになってしまい、なんともお詫びのしようもありません。この間いろいろとありましたが言い訳をしても始まりませんので、これからなんとか定期的に稿を進めたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。 【はじめに】   デカルト(René Descartes,1596-1650)は今から400年以上も

        マガジン

        • 連載「サイボーグの哲学」
          3本
        • フランス語:翻訳と文法のはなし
          2本
        • エッセイ・書評・コラム「読欲満点」
          2本
        • ボンジョルノ イターリア
          7本

        記事

          【書評】後藤繁雄 著 『アート戦略/コンテンポラリーアート虎の巻』コンテンポラリーアートは再接続で成り立っている

          本書は、簡潔にいえばコンテンポラリーアートの解説本なのだが、読み終えた感想は「まるで哲学書」である。そのため簡単にとはいかないが、しかし丁寧に読めばコンテンポラリーアートについて理解できるよう構成されている。 著者の後藤繁雄氏は、京都造形芸術大学で教授を務めながら、アートワールドの発展のため新たなアート教育を模索しつつ、アートフェアに積極的に関わるなど、最前線で活躍しているクリエイティブディレクターだ。 普段、アートに関わっていない一般人にしてみれば、コンテンポラリーアー

          【書評】後藤繁雄 著 『アート戦略/コンテンポラリーアート虎の巻』コンテンポラリーアートは再接続で成り立っている

          Anita B./アニータ・ビー(3)

           (前回のつづき)    戦後ヨーロッパで彼らは再び難民となったのだろうか。  この点について言えば、戦後たくさんの東欧のユダヤ人たちが、落ち着き先が決まらず移動の途上にあったようだ。しかもポーランドでは、あろうことか戦後になってもポグロムが再燃し、この迫害を逃れて多くのユダヤ人が自国を脱出した。彼らの多くはチェコスロバキアを経由してひとまず西(とりわけドイツ、オーストリア、イタリア)を目指し、その後パレスチナ(あるいはアメリカなど)へと向かっていく。  ところで、彼ら

          Anita B./アニータ・ビー(3)

          Anita B./アニータ・ビー(2)

           ひきつづき、R.ファエンツァ監督の『Anita B./アニータ・ビー』について。  この映画は、一人の少女の成長と希望の物語を描いている一方で、終戦直後のユダヤ人たちの事情を考える際の手がかりを私たちに与えてくれる。 第二次世界大戦中にユダヤ人が迫害されたことは、文学作品や映画を通して小学生の頃から何となく知っていた。ただ、このホロコーストの悲劇は、戦争の終結に伴い強制収容所が解放されたところで幕が下りたのだとずっと思っていた。 実際にはそうでなかったことをこの作品は

          Anita B./アニータ・ビー(2)

          「Meursault」を「ムルソー」と訳すのも翻訳であるとすれば・・・?

          翻訳とは「ある言語で書かれた単語やテキストの “意味” を別の言語で表現すること」・・・とりあえずはそう理解しておく。 ではもし、固有名詞「Meursault」を、「ムルソー」と訳す場合、一体どんな “意味” が交換されているのか? これが今回の話。 まず感じるのは、固有名詞の翻訳の場合、翻訳している側は「意味を交換している」という気にならないケースが多いということである。 翻訳作業といっても、ただ「音」を移し替えているだけであって、あえて「Meursault」の意味は

          「Meursault」を「ムルソー」と訳すのも翻訳であるとすれば・・・?

          Anita B./アニータ・ビー (1)

           2014年のイタリア=ハンガリー合作映画『Anita B./アニータ・ビー』を観た。監督はロベルト・ファエンツァ。アウシュビッツを実際に生き抜いた一人のユダヤ系ハンガリー人少女の目を通して、「ホロコースト後のヨーロッパ世界」を描いた作品。 監督も強調しているように、ホロコーストに関する映画はたくさんあるが、ホロコースト「後」を描いている映画はほぼないと言っていい。  戦後間もない混乱した世界に一人放り出された16歳の少女アニータ。周囲に翻弄されながらも、自らのアイデンテ

          Anita B./アニータ・ビー (1)

          イタリア人女性の43.6%がセクハラ被害に、男性は18.8%

           Istatの調査:880万人の女性がセクハラ被害に、男性は310万人(ラ・レプッブリカ、web版2018年2月13日付 "Istat: 8,8 milioni di donne vittime molestie sessuali, 3,1 milioni gli uomini”より引用翻訳)。  Istat(イタリア中央統計局)がレポート「職場におけるセクシャル・ハラスメント」(2015-2016)を発表した。  このレポートによれば、14〜65歳の女性のうち、8,81

          イタリア人女性の43.6%がセクハラ被害に、男性は18.8%

          イタリア人の一週間の労働時間:38.5時間

           イタリア人はスタハーノフ主義者ではない:一週間あたりの労働時間数、EUで最後から二番目(ラ・レプッブリカ、web版2018年1月29日付 "Italiani tra i meno stakanovisti d'Europa: penultimi in classifica per ore lavorate a settimana"より引用翻訳)。  Eurostat(EU統計局)の調査結果によれば、イタリアでフルタイムで働く労働者一人あたりの一週間の平均労働時間は38.5

          イタリア人の一週間の労働時間:38.5時間

          Prendimi l'anima/ぼくの魂をきみに (2)

           前回に引きつづき、R.ファエンツァ監督作品 "Prendimi l’anima” について。 今回は、制作に20年余りを費やすことになった経緯を探る。  そもそも、制作のきっかけは、1980年にファエンツァ監督が偶然一冊の本を手にした時だった。その本とは”Diario di una segreta simmetria, Sabina Spielrein tra Jung e Freud”, Aldo Carotenuto, Astrolabio, Roma, 1980(

          Prendimi l'anima/ぼくの魂をきみに (2)

          Prendimi l'anima/ ぼくの魂をきみに(1)

           2002年のイタリア=フランス=イギリス合作映画 "Prendimi l’anima"(ぼくの魂をきみに)を見た。監督はロベルト・ファエンツァ。イタリア北部トリノ出身でユダヤ系である。「アウシュビッツは終わらない」などの著作で有名なプリモ・レーヴィの親戚(またいとこ)にあたる。  ユダヤ系のロシア人女性、サビーナ・シュピールラインの物語。スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングとの「アニマ(魂)」の交流を軸に、サビーナの生涯を描いている。舞台は20世紀前半のヨーロッパ。時

          Prendimi l'anima/ ぼくの魂をきみに(1)

          サイボーグの哲学 第1回 考察の出発点

          ~連載をはじめるにあたって~    「サイボーグの哲学」というこの連載で私が考えようと思っているのは、実はサイボーグのことではなく人間のことです。私は自身の職業のこともあって、比較的長いことデカルトの著作、なかでもおもに『情念論』という著作をたよりに、人間というのは一体どういう生き物なのか、ということを考えてきました。  じつは今になっても考えをきちんとまとめることはできません。きっと「まとめ」が苦手な人間なのだと思います。人間とはどんな生き物か? もしそれにたいして、自分

          サイボーグの哲学 第1回 考察の出発点

          ママン、それとも母さん?

           アルベール・カミュの小説『異邦人;LÉtranger』の書き出しは有名で、日本語訳もいくつかある。私の場合、なじみが深いのは、窪田啓作訳「きょう、ママンが死んだ。(原文)Aujourd’hui, maman est morte.」である。今から半世紀も前、高校生の頃読んで以来、音としてはこれがこびりついている。 最近になってこの小説をフランス語で読む必要があって、窪田啓作以外の翻訳をふたつ読んでみた。書き出しは、たとえば 「今日、ママが死んだ。」中村光夫訳 「きょう母さ

          ママン、それとも母さん?

          映画『永遠のジャンゴ』の孤独について

           ロマ、ジプシー、ツィガーン・・・ いろいろな呼び名を持つこの人たちをはじめて目の当たりにした、というか、はっきりと意識して見たのは、パリの地下鉄に乗っているときだったと思う。40代の男が奏でるバイオリンの音色にどこかものすごく惹きつけられて、演奏がつづくなか、混雑した車内をかき分けるようにしてやってきた少年の差し出す缶に、10フラン硬貨をそっと入れた。 それはいまから二十年も前の話だが、これまでいろいろな時期に自分はツィガーンの音楽を聴いていたんだ、いやそれだけじゃなく、

          映画『永遠のジャンゴ』の孤独について