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書き下ろしコラム 『トイ・ストーリー4』を少しでも楽しめるために『トイ・ストーリー』と『スター・ウォーズ』の話
知り合いの女性声優夜道雪さんが『トイ・ストーリー4』がくっそつまんねぇと嘆いていたので書いてみた。
トイストーリー大好きだから5を見たいという気持ちはあるんだけど、大好きだったトイストーリーはもうここには存在しないんだというショックと、4を見た時のPTSDでダークサイドに落ちてしまいそうで見れないかもしれない。
— 夜道 雪❄️コミケ2日目▶️西そ19ab (@yomichiyuki) August 11, 2024
『トイ・ストーリー4』はジョン・ラセターという123を撮った監督がセクハラ問題で降板させられたので仕方がないです。『トイ・ストーリー』はジョン・ラセターそのものの映画だったので物語構築において大きな痛手。そこで出来たのがあのルーカスフィルムにまつわる内輪ネタストーリーになった。
ウッディが元カノのボー・ピープに行ってしまったのはウッディ=ジョン・ラセターの比喩で実はスキャンダルをネタにしたんだよ。そんなウッディがなぜ自分の価値であったボイスボックスの仕掛けをギャビーギャビーに渡したのか?
ここにルーカスフィルムの内輪ネタが仕込まれてる。
元々ピクサーはルーカスフィルムの一部だった。『トイ・ストーリー』シリーズに『スター・ウォーズ』のネタを重要シーンに仕込んでいたりする。他にも映画ネタが多いけどね。
『スター・ウォーズ』自体が過去の映画からのオマージュしまくっていたのでジョン・ラセターはかなり強い影響を受けていた。
ピクサーは80年代にルーカスにCGアニメーションを披露するも「不良部門」と見捨てられしまう。しかも当時ルーカスは奥さんのマーシャとの離婚調停で多額の損害賠償が必要で、なんとしてでも金を工面する必要があった。この離婚に至るまでのルーカスの疑心暗鬼心境が『エピソード3/シスの復讐』なわけ。映画というのは制作する際に自分の人生でネタになるのは積極的に採用するので頭の片隅にスキャンダルをいれると良い。
「不良部門」ピクサーはその後にスティーブ・ジョブズに売却されるわけなんだが、ジョブズは当初ピクサーを別の使い方で活用した。後にラセター、ピクサーは『トイ・ストーリー』で大成功を収めて「不良」の汚名を払拭した。2006年にはディズニーの子会社として買収もされるなど華々しい道を歩んでいく。が、心残りは古巣のルーカスフィルム。貢献するはずのスタジオだった。ここでギャビーギャビーとウッディという対象的な二人にスポットを当てる。
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ギャビーギャビーはボイスボックスが最初から壊れていて、ウッディは状態が良かった。ギャビーギャビーは不良品のまま販売されてしまって悲劇的な展開を迎える。アンティークショップにいたというのは、ギャビーギャビーがそれはピクサーの辿った経緯を案になぞっている。一方でウッディはILM(VFX、SFX)やルーカスアーツ(ゲーム部門)といった残った、CGの面において評価された側。不良品ピクサーからすると妬ましい気持ちは推察できる。
ウッディとギャビーギャビーの会話シーンを見返すと「私達同じ工場なら運命の出会い」ってところで、この映画は2つの部門の別れと再会をテーマにしてるのがわかってくる。
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ギャビーギャビーは完全な状態になるためにウッディのボイスボックスからパーツを抜き取る、いわゆるニコイチになることを迫り、最終的に達成する。これはピクサーはその後、ディズニーの傘下に入り、ルーカスフィルムもディズニーの傘下に入る。同じ傘下に入ったことを比喩しているわけ。
ギャビーギャビーは度々、遊ばれなかったおもちゃとして『2』のプロスペクターや捨てられたおもちゃとして『3』のロッツォの共通点を持ち合わせていることから安直な合体キャラだと言われがちだが、ウッディの正常なボイスボックスを奪うことに固執する点はすなわち「あるべき姿に戻りたい」という願望から来ているので単なる共通点の合体キャラでないことが分かる。
というようにこの『トイ・ストーリー4』というのはピクサーという不良品認定された会社が、本来いるべきだった会社と再開するという話から練り上げた。「CG制作部門の内輪ネタ」ストーリーだったわけ。
いや、皆が言いたい気持ちは分かる。
「なんでそんな誰も特をしないストーリーをネタに映画一本作ったんだ?」
最初にも書いたように『トイ・ストーリー』シリーズはジョン・ラセターありきの話であって、ジョン・ラセターとしての要素を残せないと『トイ・ストーリー』という物語は完成しない。『トイ・ストーリー4』に少しでもジョン・ラセターの要素を持ってこないと『トイ・ストーリー』が成立しないんですよ。
ただ見落としがちな点で「この映画は不良品と優良品」というテーマはちゃんと握っているということ。
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例えばキアヌ・リーブスが演じたカブーンなんかはまさにそうでホントは正常なおもちゃだったのに、CMの思い込みで「不良品のおもちゃ」として扱われてしまったという過去を背負っている。
映画の中でも誇大広告で仕方ない部分はあれにせよ、結局カブーンのただの思いこみで、「やればできるんだ」という後のシーンにつなげている。なんなら映画の下地になっている「不良品ピクサー」についても不良品だと思われた、思い込まされたピクサーが後に「やればできる」で『トイ・ストーリー』を成功させたことにもリンクしている。
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さて、ウッディが女に逃げた理由?
簡単な話で、あの映画シリーズでウッディとバズというのはラセターの夢や魂だった。ウッディ(西部劇)とバズ(宇宙)はジョン・ラセターが子どもの頃の憧れであり、フロンティアスピリットを刺激するコンテンツだった。ウッディとバズはその憧れを投影したキャラクターでラセターそのものでもあった。ウッディが女に行ってしまったのはある種「ジョン・ラセターセクハラ事件」をネタにしたものじゃねぇのかなと思う。自分が過去に憧れたものをかなぐり捨てて、女に夢中になった。それを皮肉られたのがあの結末だと思うと納得行くんじゃないでしょうか。
ピクサーから優秀な女性社員がでなかったというのは海外のマスコミからも指摘されていて、あの映画でボー・ピープが勇ましい女性像になったのはポリコレ云々の思想よりも「ピクサー女性社員の怒り、強い意志」というのが表に出ているんじゃないかと思う。
推察だらけだけど、『トイ・ストーリー4』が楽しめるなら