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商売と哲学

軽薄と重厚。芸能と芸術、それを芸能人と芸術家と言えば、軽薄と重厚の意味合いが、少しは伝わるだろうか? わたしは、それをしようとしている。経済活動と哲学研究、商売人と哲学者、それを、しようとしている。経済活動は、軽薄であるかもしれない、必要なものを販売・消費させるなら未だしも、欲望を販売・消費させることに、足を踏み入れていることは否定はできない。但し来る者は拒まない、懐の広さがある。対して哲学は、知識を、知識人を、知識社会を、知識ある実践を、つまり生産を目的とするが、誰にも愛想があるとは言えない、重苦しさを持つ。生産財と消費財の対立構造、コンフォタブルとストレスの相反関係がある。

 でも、その相反関係は、長い目で見れば、また本質が分かった時、相補関係に反転する。f'ree generation は、もちろん日常にあるものという意味合いで手に入れてもらうことになるだろう。でも、購入した方は、いずれその根底にf'ree理論があること知る。f'ree理論もそうだ。重苦しい哲学が、日常的な生活と張り合わされていることに、気付く。

 そして何より、私は、日常生活のなかに、哲学があって欲しい。なぜなら、哲学が実践されるとは、哲学が日常生活の中にあり、そこで生きることだからだ。哲学の本質的なあり方が、そこにある。哲学と日常が無関係である二分法こそ、打ち破るべきものだ。哲学を生きる、それが私の願いであり、そして、f'ree generation の製品が、哲学へのポータルゲートとなる、それも私の願いである。 f'ree generation と f'ree理論は、地続きの、紛れもない、『ONE』になる。



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