幼少期から小学校低学年
3歳で筋ジストロフィーと診断されました。
徐々に全身の筋力が衰えていく進行性の難病で、デュシェンヌ型筋ジストロフィーは、12歳前後で歩行ができなくなるといわれています。(同じ病気の方でも個人差があります。)
大学病院で確定診断を受け、筋ジストロフィーの協会などの方々が集まる会合で専門の病院を紹介して頂き、診察を受けに行くことになりました。
幼少期はまだ歩いていたので、特別な治療はありませんでしたが、動けるうちは、できることをできる範囲でやっていくことがリハビリになる、という診療方針でした。
今後は定期的に専門の病院に通院することになります。
その頃は、健常の子と比べると動きが遅い中でも歩いていたので、幼稚園に通い始めます。
幼稚園では、友達と遊んで走っている子を追いかけることができなかったり、急に手を引っ張られたりするとよく転んでいました。
筋力が衰えていくので健常の子よりは、疲れやすく、よくふくらはぎが痛くなることが多かったです。
このようなことがありましたが、楽しく過ごすことができました。
小学校は普通校に通うことになりました。
できることをできる内に、できるだけ体験させてあげたいという両親の考えから地域の小学校に通うことになりました。
小学校に入学する頃は、先生の判断で少しでも体が動きやすくなるように、力が出るようにプレドニンを処方してもらいました。(治療方針はその時期やその人の症状によります。)
また、筋力が衰えることで足の変形も進んでしまうので、風呂上がりや就寝前にストレッチするように先生からいわれました。
徐々に進行していくので、他の子と同じように体を動かすことは徐々に難しくなっていきます。
床から立ち上がるときや転んだときは、友達がよく立つまでの手伝いをしてくれました。
体の大きな筋肉から衰えていくため、立ち上がることは大変なことでした。
助けてくれたことは今でも嬉しいです。
自力で立ち上がれる時もありましたが、そのときの疲労でできないこともありました。
通っていた小学校は登校する班を作って、そのメンバーと集まって登校していました。
入学して最初の登校の日、周りの子の歩く早さについていくことが難しく、母の自転車に乗って毎日登校することになりました。
一緒に行けなかったのは辛かったですね。
体育の授業や運動会は自分ができることを頑張りました。
友達と同じようにできないのは悔しかったです。
水泳の授業では浮力があるのでいつもより動きやすくなり、とても楽しかったです。
小2に進級すると、主治医の判断で筋力低下による足の変形をなるべく進行させないように、
長下肢装具というものを製作することになりました。
この長下肢装具は両足の付け根までカバーする装具です。
結果として、完成した装具をつけてみましたが、歩くことができず、重みと足の痛みが出てきてしまいました。
先生もそこまで無理して使うのも大変なので、装具をつけなくてもできることをして、動くことがリハビリになるということで使用しない方向になりました。
かなり痛かった記憶があります。
小3になると、歩くのがかなり大変になっていきます。
徐々に転んで頭を打ったり、膝を擦り剥いたりと怪我が増えました。
頭を切って、縫わなくてはいけない怪我もありました。
そして、歩くことに対して怖さも出てきた時期でもあります。
冬に家の玄関で靴を履こうとして段差を降りる時に転んで、捻挫をし、歩くのが難しくなり車椅子生活を送ることになっていきます。
読んでいただきありがとうございました。