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私が出来上がるまで(娘との別れ)15

私と2人目の出産が同時期だったH。
私より3ヶ月ほど先に出産しています。
私は1人目が帝王切開だったので、2人目も帝王切開の予定です。
Hは年数が空いてるとは言え、1人目は安産です。
特に大きな心配もせずに普通分娩に臨みました。

ところが、産まれてすぐに産声もなく、焦っている医師団が救急で総合病院に赤ちゃんを搬送しました。
結局、心臓に問題があり、病名はハッキリ覚えていないのですが、大動脈弁狭窄症の種類の希少な病気だったかと思います。
産まれながらにして難病を持っていたのです。
そう、たしか『ファロー四徴症』
そして、産まれてすぐに呼吸をせず、チアノーゼを起こしていたものと思われます。
心臓の病気も大変重いので、その後の余命はわからないのですが、それよりも、産後すぐの緊急処置をこの病院は誤っていたのではないかと思います。

酸素が足りない状態を長引かせ過ぎた。
命は取り留めたものの、脳にダメージを受けて、この子はただでさえ短い命だったのに、その短い命さえ普通には過ごせなかったのです。

脳のダメージがひどく、Rちゃんは成長していっても立つことも喋ることもできませんでした。
姿形を見ただけで障害児だとわかるほどに目線すら定まりません。
手も動くものの、自由にはいかないです。
Rの症状を知った時、Hは責任を感じ、共にこの世を去ろうともしたそうです。
あれだけ辛い子供時代を経験して、やっと抜け出せて小さい幸せ掴んだところだったのに。

ただ、彼女は強かった。
周りに支えられながらもきっと長女を思う気持ちも強かったのだろうと思います。
重度の障害を持った我が子を『個性』だと認めて共に生きていく方向に向かいました。
私たち家族は時々一緒に旅行もしました。
変わらずうちにも遊びによくきています。
私は8月に帝王切開で次男を産み、同級生のRちゃんと共に成長を見届けていくつもりでいました。

もちろん、同じ年なので、男女の違いはあれど、成長は似たようなもののはず。
しかし、2人はどんどん成長の差が開いていきます。
けれど、Hはうちの次男とRちゃんを比べることはなかったです。
この子はこの子としてみているのがよくわかりました。
残念ながらRちゃんとは意思の疎通がうまくいかず、話しかけても返事は返ってはこないのですが、それでも存在感はとても大きかったです。
成長していけば心臓の手術が受けられて、少しでも長く生きられると信じていました。

しかし、それは叶うことはなかったです。
8年生きました。
まだHのお父さんは自殺をする前です。
孫の死を受け入れなくてはいけなかったのです。
一族の葬儀には行かなかったですが、さすがにRちゃんの葬儀には参列しました。
もしうちの子だったら、この子たちが先に逝ってしまったら、そんなことをよぎりました。
そして、自分よりも先に我が子を見送ることになるなんて。
Hの心の痛みは私の心にも強く深く刺さりました。

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