【15周年記念クロストーク】在籍10年以上メンバーが語るf4samuraiのあゆみ
2025年1月8日、みなさまに支えられてf4samuraiは設立15周年を迎えました! 今回は、在籍10年以上のメンバー4名による記念クロストークをお届けします。
メンバーから見た設立間もない頃の様子から会社やプロジェクトの変遷、なぜf4samuraiで働き続けてきたのかまで、たっぷり語り合ってもらいました。
入社経緯と互いの関係
—くるみ:今回インタビュアーを務めさせていただきます、人事のくるみです。
まずはお一人ずつ自己紹介をお願いします!
くるみ
私は2015年入社で、在籍10年目になります。
Katsu
2012年入社のプランナー、Katsuです。よろしくお願いします。
和泉
同じくプランナーの和泉です。入社は設立年の2010年なので、この中だと最古参かな。在籍は会社と同じ年の15年です。
Tateno
フロントエンドエンジニアのTatenoです。
2015年入社で、現在10年目になります。
—くるみ:みなさんが現在関わっているタイトルやこれまで関わってきたプロジェクトを簡単に教えてください。
Tateno
僕は現在IP(版権)タイトルに所属していて、その前は『大分トリニータ公式サポーターズクラウン』など、計4プロジェクト程に関わってきました。
Katsu
僕も社員としてジョインしたプロジェクトは4つくらいです。最初はアルバイトだったので、その頃のものも含めると全部で8つくらいでしょうか。今は新規プロジェクトに所属しています。
和泉
設立当初からいるので、多くのタイトルに関わっています。設立間もない頃はできることは何でもやっていて、本格的にプランナーとして動き出したのは2015年くらいからです。現在は『コードギアス 反逆のルルーシュ ロストストーリーズ』に所属しています。
—くるみ:和泉さんが設立初期の頃からいたのは、確か金さん(代表取締役CEO)に誘われてという経緯でしたよね?
和泉
そうそう。金さんとは中学~高校時代の友人なんです。学生時代は全然違うタイプだったのですが、大人になってからも付き合いがあり、前職を辞めるタイミングで声をかけてくれました。転職先も決まっていなかったので「ちょっと手伝うか」くらいの感覚でf4samuraiに来て、今に至ります(笑)。
Tateno
全然手伝いじゃなかったという(笑)。
和泉
そうなんです。でも思い返せばあの時声をかけられていなかったらこれまでの15年はなかったので、助けるつもりが、実は助けられていたのは私の方だったのかもしれないですね。入社経緯がちょっと特殊という点だと、Katsuさんもそうじゃない?
Katsu
そうですね。大学時代に当時f4samuraiでインターンをしていた友人に誘われて、アルバイト入社したのが最初なんですけど、だんだん大学生活よりf4samuraiでの業務に主軸を置くようになりました。
ただ、当時ゲーム業界とは別に目指していた業界があったので、そちらへの内定を目標に新卒の就職活動をしていて、1年目でうまくいかなったので就職浪人もしました。
その間もずっとf4samuraiでアルバイトは続けさせてもらっていて、『アンジュ・ヴィエルジュ ~第2風紀委員 ガールズバトル~(以下、アンジュ・ヴィエルジュ)』では結構本格的にプランナーとして経験を積ませてもらったこともあり、そのままf4samuraiに入社しました。
—くるみ:しかも、インターンで来ていたご友人は入社せず、誘われたKatsuさんが入社するという。
Katsu
会社からしたら「え? なんで?」となりますよね。一応、就職活動で内定はもらっていたので、親からは「ちゃんと内定の出た会社に就職しなさい! できたばかりのよく知らない会社に入社するなんて反対だからな!」と勘当する勢いで怒られました。
Tateno
厳しい(笑)。
和泉
いや、でも当時は普通の人から見たら本当にわけわからない会社ですよ(笑)。
—くるみ:本当にそうだと思います(笑)。みなさんそれぞれ一緒に仕事をしたこともあると思いますが、お互いの印象やエピソードはありますか?
和泉
Tatenoさん、『大分トリニータ公式サポーターズクラウン』で一緒でしたけど、それ以外は同じプロジェクトになったことはあまりないですよね?雑談とかはしますけど。
Tateno
そうですね。和泉さんは最初、“陽気なお兄さん”という印象でしたけど、仕事の一面を知ってからは「意外とちゃんとしている方だな」と思うようになりました。
和泉
それ、褒めてる?
Tateno
はい(笑)。誰にでも気さくに話してくれる親切な方という印象は最初から変わりないですね。
Katsuさんとは『アンジュ・ヴィエルジュ』のときから一緒だったのですが、僕は入社後の最初のプロジェクトだったので、結構緊張していて。その中でKatsuさんはいつもフレンドリーに話しかけてくれて、Katsuさんのキャラクターもありますが、さん付け呼びがいつの間にかあだ名呼びになっていました。
和泉
Katsuさんは後輩キャラだよね。でも、Katsuさんの馬力は本当にすごいと思う。『アンジュ・ヴィエルジュ』終了から、自分で「やりたい」と言って『アンジュ・リリンク』を企画して、リリースまで……。
自分はそういう行動ができないタイプだから、すごく尊敬しています。でもちょっとぶっ飛んでるところもあって、すごくタフだけど、たまに真っ直ぐ走れない車みたいなタイプだよね。
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Katsu
その自覚は、あります(笑)。
一同
(笑)。
創業期の苦労と葛藤 当時から続くf4samuraiのマインドとは?
—くるみ:ここからはf4samuraiがリリースしたタイトルを、時系列に沿って振り返ってみたいと思います。初めは2010年からになりますが……和泉さん覚えています?
和泉
15年も前なので、はっきりとは……。ただ覚えているのは、みんな自分の職種外のこともやっていたし、ボリュームもすごかったことですね。
私は、今はプランナーですが、当時は画像を作ったり、HTMLを組んだりといったデザイナー業務もしていました。この頃は役員含めて社内メンバーは5人だけだったので。
—くるみ:2010年に出したゲームだけでも5本ありますよね。
和泉
当時はまだガラケーで遊ぶモバイルゲームだったので、ミニゲームのようなタイトルが多いですが、それでも一つリリースしたら次の案件、とどんどん作っていった記憶があります。
さらに、まだ体制が整っていなかったこともあり、障害も0ではなかったし、最初からヒット作を出すことも難しく、とにかく手を動かし続けていました。
2011年は、東日本大震災を受けて農業マッチングサイト『全力農援』をオープンするなどもしましたが、『A.V.A 手のひらの総力戦Alliance of Valiant Arms』『降臨アルティメットモンスター』といった受託開発が増えた年でした。
受託開発を進めるうちに「自分たちでもこういうの作りたいね」と開発したのが『創世クロノドライブ』なのですが、当時は運用メンバーというくくりも当然ないので、運用しながら開発も同時に進めていました。
Tateno
『降臨アルティメットモンスター』のリリースが8月なのに、『創世クロノドライブ』を12月に出して、すごいスピード感で。相当忙しかったですよね。
和泉
今だから言えるけど、残業も結構しました。
でも、私なんてかわいいもので、役員陣は深夜に帰ったはずなのに、早朝にはオフィスにいて。いつ休んでいたのか今でもわかりません。今ではしない働き方ですが、当時の役員陣は私たちが知っている以上に動いていたのだと思います。
私は誘われて一緒にやっているくらいの感覚でしたが、役員3人は覚悟を持ってやっていたと思うし、その気持ちが創業当時の支えだったのかもしれないです。
仕事の合間にゴルフやプールに行っていて、どうやって時間を捻出していたのか本当に謎ですけど(笑)。
—くるみ:すごい体力(笑)。翌2012年にKatsuさんがアルバイト入社ですよね。最初に関わったタイトルとしては『クロノス未来戦記』ですか?
Katsu
そうです。当時の出来事で印象的だったのがリリースの立ち合いですね。田口さん(取締役COO)に「せっかくの機会だから、リリースの瞬間に立ち会った方がいい」と言われて、リリース日の朝にオフィスに行ったんです。
初めての体験だったので内心ワクワクしていたのですが、いざオフィスに着いたらエクセルを渡されて「初期実装のキャラクター100体にセリフ入れることにしたからよろしく!」と言われて(笑)。
そこから別の社員と2人で必死にセリフを埋めて、どうにかリリースできましたが、想像していたリリース体験とは別物になりましたね。
和泉
「こんなつらいアルバイトはもう嫌だ!」とはならなかった?
Katsu
役員に対する表現ではないかもしれませんが、“部活の先輩”くらいの距離感で働かせてもらっていたのが居心地良かったですし、2014年にリリースした『ボーダーブレイク mobile ー疾風のガンフロントー(以下、ボーダーブレイク)』はより深くプロジェクトに関わらせてもらったこともあって、ユーザーの方々の反応がダイレクトに返ってくる面白さも感じていました。
和泉
『ボーダーブレイク』は転換期になったプロジェクトだよね。2012年までヒットがでなくて会社としても結構追い込まれていて。そんなときにセガネットワークス(現:セガ)さんが手を差し伸べてくれて、f4samuraiに開発を任せてもらうことになりました。危機を救われた出来事として印象に残っていますね。
Katsu
あと、GvG(ギルドvs.ギルド。プレイヤーが操作するキャラクターで構成されたグループ=ギルド同士が対戦するシステム)の開発ができたことも大きかったと思います。その知見を元に、『アンジュ・ヴィエルジュ』以降のタイトルの開発が進められたので、その後の開発を支える重要な根幹システムだったと思います。
『アンジュ・ヴィエルジュ』は個人的にも思い入れの深いタイトルで、一番の思い出は、アニメ版『アンジュ』の企画会議にf4samurai責任者として出たときのことです。
当時の僕は新卒同然だったので、「自分が責任者では会社に迷惑をかけてしまう」とディレクターだった田口さんに伝えたのですが「自分が正しいと思うことを全力でやって、それで会社に迷惑をかるならかけてみろ」と背中を押してくれたんです。
この言葉のおかげで「もう僕は自分のできることを全力でやるだけだ」と開き直ってやり切ることができました。
Tateno
普段のKatsuさんを見ているからこそ言える言葉ですし、社内メンバーと真正面から向き合う姿勢がうちの役員らしいエピソードですね。
Katsu
その姿勢はユーザーさんに対しても似ているところありませんか?
以前、大きな不具合を出してしまい、ユーザーさんから直接会社に抗議の電話がかかってきたことがあるんです。そういった場合、マニュアルに沿った対応をするのが一般的だと思うのですが、金さんが直接出て、どうしてそうなったのか、この後どうするのかなど、朝までユーザーさんと一対一で話し合って、納得していただいたことがあって。
ユーザーさんと真剣に向き合う姿勢は、僕たちも役員のそういう姿を見ているから、今もf4samuraiのカラーとして根付いているのかなと感じています。
和泉
それは言えるかもね。
『A.V.A 手のひらの総力戦Alliance of Valiant Arms』も売り上げがのびなくてクローズを視野に入れていたけど、一部ものすごく遊んでくださるユーザー層がいたんです。経営面だけで言ったら続けないような状態でも、そのユーザーさんたちのためにどうにか運営を続けられないか、最後まで奮闘していました。
もちろん、会社として売上を無視することはできませんが、ユーザーのみなさんを大切にしたいマインドは創業当時からの特徴かもしれません。
増えた仲間と拡大したプロジェクト 新たに見えた課題と挑戦
—くるみ:2015年は『オルタンシア・サーガ ー蒼の騎士団ー(以下、オルサガ)』がリリースになりましたが、ここから一気に人が増えて、会社が変化していきましたよね。
和泉
『ボーダーブレイク』『アンジュ・ヴィエルジュ』『オルサガ』の3タイトルを運営していて、さらに新作の開発も進めていたから純粋に人手が必要な時期でしたね。どんどん人が増えるからオフィス移転も頻繁でした。
Katsu
良くも悪くも、少人数ならではのファミリー感が薄れていった時期でしたよね。ちゃんと“会社”になっていったフェーズというか。
和泉
そうだね。採用も、広くなんでもできる人だけじゃなくて、職種ごとのスキルに特化したスペシャリストが増えていきました。色んな価値観の人が増えたことで、それまでなんとなくだった会社のルールもだんだんと明確になっていきました。
Tateno
会社として変化が続いたフェーズというのはこの頃に入社しただった僕も感じましたし、組織だけでなく個人としても変化や成長が必要だった時期だと思います。
—くるみ:Tatenoさんにとって、印象的だった出来事はありますか?
2019年にリリースした『ワンダーグラビティ ~ピノと重力使い~(以下、ワングラ)』の開発が金さん主導で始まって、プロジェクトにジョインしました。
それまでの開発タイトルはウェブの技術がメインで使われていて、僕はフロントエンドエンジニアとして入社をしたのですが、『ワングラ』は会社として初挑戦となる3DCGを使った開発だったのでUnityの技術が必要だったんです。
僕のスキルではどうにもできませんでしたし、プロジェクトとしても最初の頃はフロントエンドエンジニアが作ったものをネイティブエンジニアが繋ぎ合わせてアウトプットする手法を取っていました。
しかし、その開発だとスピードが出ないので、どんどん開発が遅れていってしまって。このままではいけないと思い、Unityでの開発に挑戦させてほしいと頼みました。
C#という未経験の言語を習得する必要があったのですが、自身で勉強しつつ、ネイティブエンジニアにも教えてもらいながら、なんとか開発を進めることができました。
和泉
すごい!
Tateno
個人的なターニングポイントでもありつつ、会社としても新たな挑戦が多かった時期だと思います。『ワングラ』を開発していた時期で印象深いのは、当時のオフィス環境ですね。ビルの7階と8階の2フロアを使用していたのですが、7階は『ワングラ』のメンバーだけのフロアでした。フロアが分かれたことにより、まるで別の会社のような感じになってしまいました。
Katsu
1つ前の神田オフィスですよね。僕は8階にいましたが、8階の人は用事もないからほとんど7階に行かないという。
Tateno
そうそう。7階にいると他のプロジェクトの様子がわからないから、会社そのものの雰囲気が掴みづらくて、メンバー同士で距離感が出てしまっていたなと。
和泉
会社が急に大きくなったけど、その変化に追いついていない感じはあったかもね。フロアが分かれたからなのか、プロジェクトが増えてメンバーも増えたからなのか、なんとなく社内全体がピリピリしていて……。
Tateno
同じように感じていたメンバーも多かったのか、割とすぐに現在の秋葉原オフィスへの移転が決まりましたね。
和泉
役員陣もコミュニケーションの取りづらさや、良くない雰囲気は問題視していたんだと思う。
—くるみ:秋葉原オフィスではワンフロアになって、ぐっと仕事がしやすくなったのを覚えています。その後は、大型IPタイトルの開発が続きますね。
和泉
「こんなすごく大きなIPのタイトルをうちで作れるなんて」と感動したし、今でもすごいと思う。
Katsu
元々は『オルサガ』がヒットして、その成功が元で2017年から有名IPタイトルの開発を多くさせていただていますよね。そのうちの一つに僕も携わらせてもらいました。それと同時に『アンジュ・ヴィエルジュ』の続編を作らせてほしいと役員にプレゼンし続けて承認をもらい、開発・リリースをしたのが『アンジュ・リリンク』です。
もちろん、ただ「やりたい」と言うだけで開発ができるわけではありません。その時の流行や市場の動向、会社としての意義など複合的な要因がある中でf4samuraiにとって必要な開発かと聞かれたら二つ返事はできないような状況で。
それでも最終的に開発がスタートできたのは、やはりユーザーさんたちの熱量だったと思うんです。
オンラインイベント「f4ファンフェスティバル」で実際に『アンジュ・ヴィエルジュ』を遊んでくださっているお客様を僕も役員も間近で見て、「アンジュをこんなに好きになってくれるユーザーさんたちがいるなら、その人たちのために作ろう」という最後の一押しになったと思います。
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—くるみ:f4ファンフェスティバルはユーザーさんの顔を直接見られる貴重な機会ですし、普段働いているだけでは体感できない熱量を感じられる良い取り組みでしたよね。
Katsu
またやりたいですよね!
会社規模が大きくなっても、開発タイトルが増えても、やっぱりうちの会社の根幹にはユーザーさんの存在があり、開発はその先にあるのかなと思っているので、企業文化の一つとして、その姿勢は忘れずにいたいです。
長期在籍メンバーが思うf4samuraiで働き続ける理由
—くるみ:最後にf4samuraiの好きなところや、長く働いている理由を教えてください。
Katsu
僕はやっぱり役員への尊敬の気持ちが強いです。役員だけど現場にいて、一緒に悩んで、一緒に意思決定をしてくれることがとても心強いです。
最終決定するのが役員だったとしても、その決定に自分も関わり、一緒に決めた感覚を持てるので、最後まで自分事としてやり通せる、がんばれる環境だと思います。もちろん、トップダウンで決まることもありますが、普段の考えやマインドを知っているので納得感があります。
和泉
私はシンプルに縁があって、運も良かったからだと思っています。すごく立派な目標があるわけではなく、ただなんとなく居られる……というと聞こえは悪いのですが(笑)、自然体のまま働ける会社には簡単に出会えるものではないと思うんですよ。
誘ってくれた金さんにも、ここまで受け入れ続けてくれた会社にも感謝していますし、新しくf4samuraiに来る人には少しでも私みたいに思ってもらいたいので、仲良くしたいし、困ったことがあったら助けたいとはずっと思っています。
—くるみ:私も自分が助けてもらったからこそ、新しく入って来てくれた人たちを少しでも支えたいと思いますし、そういう意識が受け継がれていったらうれしいです。
和泉
確かに15年経って、現場だけでなくバックオフィスの人も増えて、会社として人をバックアップしながら、新たな仲間を迎えられる体制になってきたと思います。
初期のように全員がフルスピードで突っ走るみたいなフェーズではなくなってきましたが、それは会社の成長だし、あの時代があってこその今なのかなと思いますね。
Tateno
僕はお二人のような苦楽を共にしてきた初期メンバーではありませんが、それでもやっぱり役員との距離の近さ、それによる風通しの良さは感じています。そういった居心地の良さもあって、僕も気付いたら10年が経っていました。
和泉さんがいうように、人が増えて、会社も大きくなって、以前のような空気感ではなくなっているかもしれません。ですが、役員との距離の近さや、メンバー間のコミュニケーションの楽しさはf4samuraiらしく残っていると思いますし、それはこれからも会社のカラーとして続いていくのかなと思っています。
—くるみ:ありがとうございました!