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『すごいアイデア』ができるまで
発想をロジカルに語る人
編集者には、テーマ主導のタイプと著者主導のタイプに分かれるが、僕は明らかに後者である。面白い人に出会うとそのことを誰かに言いたくなる。「こんな人がいてさー」と。その延長で「こんな面白い人がいるんですよ!」と多くの人に言いたいがために本を作っているようなものだ。出版社を辞めて独立後も書籍を作っているのは、「この人、面白い!」という人に出会うからである。
本書『すごいアイデア』の著者、今井裕平さんとの出会いもそれであった。祥伝社の編集者である栗原和子さんが「一緒にお会いしませんか?」と誘ってくれたのがきっかけである。今井さんはビジネスデザイナーであり、数々のヒット商品を生み出してきた人である。テレビ『カンブリア宮殿』に今井さんが出演されているのを見て栗原さんは連絡したそうだ。
お会いした今井さんのお話は、ことごとく僕の問題意識にピッタリだった。仕事柄、書籍をはじめとしたコンテンツ、あるいはイベントやセミナープログラムなど「企画」を立てることが多いのだが、斬新なものを作りたいといつも思う。その一方で、尖りすぎる企画は独りよがりになりユーザーから受けない。凡庸でありたくないが、独りよがりは格好悪い。こんなジレンマを常に感じているのだが、今井さんは「尖らせて売るんです!」と断言される。その上で、「最初に尖らせないとダメだんです」と。
ビジネスデザイナーとしての今井さんは、これまでいくつものグッドデザイン賞もとられているが、本人が目指しているのは「クライアントが儲かること」である。つまり、かっこよくて業界で話題になるだけでなく、それが売れること。これにとことんこだわるという。このあたり、綺麗事でなくリアルに売上げを追求しようとする姿にも共感した。
もう一つ、今井さんにお会いして驚いた点がある。それは、話がとてもロジカルなところだ。デザイナーという仕事の人には感性優位な人が多いという印象があった。だが、お話しには現場感があり、最小限の比喩を用いながら、どこかアイデア発想をメカニカルに考えているように思えた。後から知ることになるが、今井さんは元々建築を学ばれていた方だ。だからなのか、アイデアの発想の仕方も構造を組み立てるかのようだ。話し方も機能的で、こちらの質問にまっすぐに答えられ、かつ不必要なことを一切語らないのだ。かといって寡黙なわけではない。話される内容がテーマから一切ズレない人なのである。なので対話が快活となる。
事前に多くのことを知らない方だったが、最初の面会ですっかり魅了された。これだけアイデア勝負をしてきた人が、こんなにロジカルなんだ!と。これは多くの人に知ってもらいたい。これが本書の企画の原点となった。
著者の魅力は「言い切る」力
いざ本づくりがスタートする。チームは著者の今井さん、編集者の栗原さんそしてプロデューサーとして僕の3人である。書籍のコンセプトはいくつか候補があったが、すぐに決まった。今井さんが得意とする「フラグシップ商品を作る」というテーマも魅力的だったが、今井さんの知見は、企業で新しい事業や製品を立ち上げようとしている人にきっと役立つに違いない。デジタル化やグローバル化が急速に進む中、どの企業も新しい事業の創造は喫緊の課題である。既存の技術やスキル、あるいは組織力などありながら、新しい事業を生み出せないのは、多くの場合アイデアを生み出し実行する力に欠けているからではないか。そんな問題意識もあり、「ビジネスアイデアをどう生み出すか」をテーマにすることに決まった。
構成もすぐに決まった。本書の要点は「尖らせて売るためのアイデア」であり、言い換えると製品の独自性がありかつ市場性も伴った「売れる」商品づくりのための発想法である。構成は実にシンプルで第1章で「アイデアづくり原則」としてその要点と手順を紹介し、次章以降は、実際のアイデアづくりのプロセスに順じている。それらは、
1. 独自性を作るために「発想する」
2. 市場性の要件を「定める」
3. それらの要件を満たす独自性を「見極める」
という、わずか3つのステップである。こんなシンプルな方法で、競合を勝ち抜くアイデアが生まれるのかと不安に思う人がいるかもしれない。読んでもらえれば幸いだが、本質を見極めるとシンプルになるものだ。今井さんの素晴らしいところは、「言い切る」ことである。ビジネスのアイデア発想となると、いろんなケースがあり、あーでもない、こーでもないとなりがちである。もちろん現実は複合的な条件で決まるので一言では言えないだろうが、今井さんは原則として言い切る。言い切るためには相当考えなければいけないだろう。いろんなケースを頭の中に想定し、そこに流れる本質的な原則は何か。それを誤解を恐れず、明確な言葉で今井さんは言い切る。
原稿は順調すぎるほど順調に進んだ。読ませてもらった原稿に疑問を投げかけると、今井さんはど真ん中から応えてくる。話していても常に適切な話しをされるが、それが原稿にも生きている。僕は常々理想の文章とは「何も足さない、何も引かない」という状態のものと思っているが、今井さんの原稿は、限りなくそれに近い。こちらもさらに磨き込みたくなり、接続詞や助動詞一つ無駄がないよう読み直した。そう、目指したのは研ぎ澄まされた文章である。そういえば、今井さんの会社はkenmaだが、その名前を彷彿される切れ味ある文章だ。「ズバッと大切なことをシンプルに言う」。ここに今井さんの特異性がある。
順調な書籍づくりだったが、、、
順調に進んだ書籍づくりだが、思わぬところで難航した。それは書名とデザインを決める局面だ。書名は何度も変更になった。当初はクリエイティブ層でバイブル的存在となっている『アイデアのつくり方』のオマージュから「ビジネスアイデアのつくり方」という案から考えたが、僕ら3人とも「二番煎じ感」を超えられなかった。その後も、二転三転。最後は祥伝社の社内の人たちからもアイデアを出してもらい、この「すごいアイデア」に決まった。これまで「すごい」という煽り型の形容詞は好きではなかったが、モゴモゴとこの本の特徴を語るのではなく最初に読者に届ける言葉として「これかも」と思った。今井さんもこのタイトルを見て「なるほど、そうかも!」とようやく納得してくれた。
装丁はもっと難航した。今井さん自身、デザインの専門家である。これまでいくつもの製品の意匠もディレクションされてきた。そんな今井さんの知見を生かさない手はない。一方で、ご自身を表す商品のデザインに、今井さんがどこまでバイアス抜きで力を発揮できるか。装丁家選びが難しかった。こんな今井さんを唸られる力がまず要求される。こちらの意図を正確に汲んでくれることに加え、こちらに流されない独自の強みを持った人にお願いしたい。加えて、デザインの意図をきちんと言語化できる人が相応しい。
僕らがお願いすることになったのは、松昭教さん率いるbookwallさんだ。担当してくれるのは松さんと五藤友紀さんである。結果的にこれが大正解となる。打ち合わせから、お二人はこちらの意図を知ろうとさまざまな質問をしてくれる。著者はどんな人で、他の本にない特徴は何か?読者は何を求めているのか?そして、本屋さんでこの本はどんな存在感を出したのか。この装丁の打ち合わせでは、本書の企画にアラがないかのチェックにもなり、コンセプトの純度が数段上がったと思う。実は書名を何度も変更することになったのも、松さんらbookwallさんとの打ち合わせで気づかされたことがあったからだ。
だが、bookwallから上がってくるラフデザインに対し、今井さんは簡単には「うん」と言わない。どうもイメージが合わないようだ。今井さんの感じる違和感も納得できるので、松さんらに再度ラフデザインを出したもらうが、それでも今井さんは納得しない。打開策として、デザイナーと著者と僕ら編集サイドの三者で相談することにしたもした。今井さんと松さんはクリエイターとしては似ているところがあり、この打ち合わせで大きな前進があったと思えた。bookwallのお二人はコンセプトを変えた新しいデザインを提案してくれた。これで決まるだろうと思ったのだが、それでも今井さんは納得しない。僕はやや途方に暮れてしまった。
この状況でもさらに大胆なアイデアを出してくれたのがbookwallさんである。お二人は、「ではこれでどうだ」とばかりにさらに別の方向から提案をしてくれる。こんなお二人の創造的尽力のおかげで、ようやく今井さんも僕らも納得する装丁ができ上がった。ここまで、打ち合わせは5回以上、出してもらったラフデザインは数え切れず、色校正も3回。通常ではありえないプロセスとなった。それを粘り強く支えてくれたのが栗原さんである。書名も社内で承認されたものがその後に変更になり、出版日も何度もずらし、社内や印刷所との調整にどれほど苦労されたことか図りしれない。
このプロセスに僕は挫けそうになったが、今井さん、栗原さんとのチームワークが壊れることはなかった。思えば今井さんは納得しない時、理由とともに必ず代案を出す。それに対し栗原さんは根気よく意図を聞き、どうすれば実現するかに注力する。そして一貫して僕らは「これを出そう」というお互いの思いを疑うことががなかった。そして、最後のワンピースとなったbookwallさんの存在も欠かせない。こうして書名や装丁は当初思っても見なかったものになったが、本のコンセプトは一貫してブレなかった。気がつけば、僕の想像を超えるものが出来上がった。
アイデアにセンスは必要か?
この本を作っている際、ちょうど別の仕事である企業の新規事業開発をサポートしていたが、この本の内容がどれだけ参考になったかわからない。もっと言うと、自分がこれから新しい企画や事業をつくる際、本書の原則がバイブルのように支えになるだろう。
まずは、新しいことをやろうという人に読んでもらいたい。それが事業という大きなものでも、新製品であろうと新しい企画でもいい。新しいことをしようとすると、他社事例や前例などに引っ張られて面白いアイデアが埋もれてしまいがちになる。逆に突飛なアイデアに意識が行きすぎると、リアリティのない企画になってしまう。こんなケースに遭遇したことのある人なら、きっと本書が参考になると思う。そしてアイデアや発想が、直感やセンスあるいは感性から生まれると思っている人に読んでもらいたい。これまでセンスとして片付けられていたアイデア発想の概念を、ロジカルに誰もが実践できる「型」として表現できた本だと思う。サブタイトルは「『尖らせて売る』ビジネス発想の公式」。この「公式」に偽りなしだ。