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娘の納骨

           
娘の納骨を終えました。
つい先月のことです。
亡くなって、17年以上の歳月を要しました。
私たち夫婦にとって、必要な時間だったと思います。

娘が亡くなった後、夫のお母さんから
「私が死んだら、私の骨の上に孫の骨をのせて欲しい」
というお願いをされていました。
私としては、しばらくは納骨する気にもなれなかったし
お母さんのお願いも、叶える自信はありませんでした。
ところが、私たち夫婦の気持ちを変える出来事が起きたのでした。

お母さんの死でした。
そして、私たち夫婦は在宅での看取りを経験しました。
お母さんは末期の癌でしたが
診断された時には、余命が3日と言われました。
脱水だと思っていたので、癌の末期だなんて考えてもいませんでした。
食が細い、寝ることが多いなどありましたが90半ばだったので、
年齢によるものだとばかり思っていたからです。

お母さんは昔、私の看護学生時代にお世話になった実習先の師長さんでした。
今振り返れば、自分の病気のことは気づいていたのではないかと
思う節があります。
亡くなる半年ほど前に転倒し、病院の受診を勧めたことがありましたが頑なに拒否されました。
採血やレントゲンで病気が見つかるのを避けていたのではと思ったりもします。

今回は脱水で、強制的に病院へ搬送したことがきっかけで
病気は発見されました。
しかし、点滴で幾分回復したお母さんは
入院を勧める医師に「お願いです、家に帰してください」
そう言って手を合わせてお願いしました。
夫も私も介護できる状況にあったこと、介護の期間はそう長くはならないこと
入院してもやれる治療はないこと、何よりもお母さんが望んでいること
それらが在宅での看取りを決断させました。

お母さんの看取りを経験させて貰ったおかげで
娘のことも考える時間を貰いました。
そこで感じたのは、自分が置かれている環境は選べないこともあるけれど
環境のせいにして犠牲者で居続けるか
自分らしく生きようとするかは選べるということです。
お母さんは家に帰ってから最期まで、言葉を交わすことはありませんでしたが
私に大切なことを残してくれました。

納骨は約束通り、お母さんの骨の上に娘の骨を重ねました。
今でも会いたい、抱きしめたい気持ちは湧いてきます。
娘のことを思い出そうとすれば、昨日のことのように思い出すことも出来ます。
でも、娘の遺骨を見て過去に戻り、時間や自信を奪われることは
ありません。
こんな日が来るなんて、全く想像しませんでした。
戻れることなら生きることが辛かった、あの頃の私に
「大丈夫、未来のあなたは幸せに生きてるから」と言ってあげたいです。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。またの訪問をお待ちしています : )