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【インタビュー】ジャグリングを通じて繋ぎたい縁〜パフォーマーAiさんが好きを突きつめてたどりついた生き方〜

WPF第一回アマチュアジャグリングコンテスト3位、アメリカラスベガスでのVIVA FEST 7位入賞など、輝かしい実績をもつAiさん(31)。東京を中心に活動している大阪出身のパフォーマーだ。そんなAiさんにパフォーマーになったきっかけから将来の夢までを語ってもらった。

【取材:みらいのびた 撮影:古川あきら
パフォーマーAiさん

 人を喜ばせるのが大好き

 まるで空中に静止しているような水晶玉。3つのボールを自在に操るジャグリング。互いにひもで連結したハンドスティックを使って頭上3メートル以上高く放り上げられたディアボロを見事にキャッチ。

圧巻は7つのカラーコーンを顎(アゴ)の上でバランスをとるバランスパフォーム。

7つのカラーコーンのバランスパフォーム 

 「ぼく、本当は人の前に出ることが嫌いだったんです。高校の時はいわゆる陰キャで。。。」こう話を切り出すAiさん。だけれども、彼のパフォーマンスを見ている限り、そんなことは微塵も感じない。

Aiさんのパフォーマンスが始まると子供を中心に多くの人の顔が笑顔に変わる。

子供たちの笑顔がいっぱい

本人は否定したが、まぎれもなく彼は人を喜ばせることが大好きなパフォーマーなのだ。

ジャグリングの前に観客にピースサイン

大学時代にジャグリングに出会う

Aiさんは大阪芸術大学の新入生の時、ジャグリングに出会った。

サークルを決めかねていた時に、ある先輩がジャグリングサークルの道具体験に誘ってくれたのだ。

その時、偶然同じ建築学科の同期の新入生がその体験会にいた。

「そこで初めてジャグリングボールを投げたり、ディアボロをハンドスティックを操ったりして、純粋に楽しかったのです」

同級生も同じ感覚だったらしく、一緒にジャグリングサークルに入ることになった。

大学でも人数の少ない建築学科の新入生が、そこにいなければジャグリングサークルに入らなかったという。

たまたまの偶然が「縁」でいまのAiさんがいる。

努力すれば成果の出ることが好き

実はAiさんは、もともと中学は卓球部、高校はテニス部。

ジャクリングとは全く関連がない。

中学生、高校とスポーツ少年だったAiさんがなぜ、ジャグリングに夢中になったのだろうか。

Aiさんはいう、

「努力して頑張ればしっかり結果として帰ってくることが好きなのです」

インタビューに答えるAiさん

 Aiさんにとってのジャグリングは、学生時代に夢中になったスポーツと通じるところがある。

「確かに、スポーツも一生懸命に練習して試合に勝つ時に感じる感覚と共通ですね」

新卒で入社した会社で感じた違和感

しかし世の中はそんなに甘くない。
頑張っても頑張っても結果が見えないこともある。

Aiさんは、大学卒業後に入社した初めての会社でその経験をすることになる。

「卒業してすぐに入社した会社は家具の会社でした」
配属されたのは営業部。

激務だった。

営業成績もよくノルマもしっかり達成したAiさん。

始業時間より1時間早く出社、帰りも遅くまで仕事をこなした。

しかし一つだけ気掛かりなことがあった。

残業代がつかないのである。

いくら残業をしても残業していない扱いになる。
月60時間を超える残業をした月も。

常態化したサービス残業。

いわゆるブラック企業だった。

大阪の南の方にある自宅から北の方にある会社まで往復5時間、加えて2時間以上の残業の毎日。
会社に貢献していないわけでないのにサービス残業を強いられた。
頑張っても報われない毎日。

決定的だったのが会社の都合が透けて見える異動。

「急に他の部署に回されることになったのです。でも、新しい部署の上司と反りが合わなくて。前の部署では、ちゃんと成績残していたのに、なんでなん?って思って.…」

 「上司に聞いてみたんです。すると、どうやら新しい部署にもともといた人が強い希望で他に異動したことがきっかけだったことがわかりました」

よくある玉突き人事だ。

自分のことなのに知らないところで意思決定されるもどかしさ。

目の前の景色が色褪せる。その時、電車の中で一筋の涙が頬をつたった。

よほど憔悴していたのだろうか。普段ネガティブなことを口にしないAiさんだったが、行き場のない怒りや悲しみをSNSで呟きづづけた。

これに気が付いた大学の友人や後輩が心配してくれてメールを届けてくれた。

「Aiさん、何かあったんですか?大丈夫ですか?」

苦しい時に励ましてくれるステキな仲間の「縁」に気が付いたAiさん。

下を向いてばかりはいられない。
自分で自分の人生を大きく切り開いていくことを決意した。

私が仕事を辞めたいと両親に相談したところ賛成してくたばかりか、決断を後押ししてくれた。
とても感謝している。

翌日辞表を提出した。

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東京のパフィーマンスの学校に通うために上京

会社をやめ、一人になった時、将来について考えた。

「自分が好きなことってなんだったんだろう」

頭に思い浮かんだのがジャグリング。

大学時代、一生懸命仲間と練習した楽しかった日々が思い出された。

その時、何気なく眺めていたSNSで、東京にパフォーマンスの学校があることを知った。

縁もゆかりもない東京だったが、ジャグリングに限らず、パフォーマンスのことが総合的に学べるのなら、と考え切って上京することにした。

そして、この学校で繋がった人との「縁」により新たな扉が開くことになる。

学校の先生が運営している劇場でパフォーマンスを披露するチャンスを与えてくれたのだ。

月に数日、格安で劇場を使用させてもらい、学校で知り合った友人とお客様を招待してパフォーマンスを披露する。
プロとしてのスタートだ。

「それから仕事の依頼は人との繋がりからくるようになったのです」

社会人になって思うプロのパフォーマーとは

いよいよプロのパフォーマーとしてスタートを切った。
もう学生気分では、やってはいけない。

最初は学生気分が抜けず、依頼主から身だしなみを注意されたり、約束の時間に遅刻したり失敗も経験した。

今は一つ一つの舞台をプロとしての自覚を持って丁寧にやっている。

「アマチュアとプロをわけるマインドは、基本的な社会人としてのマナーを備えているかどうか、ですね」

絶え間なく仕事を回してもらえるようになるには、技術は当然のこと依頼してくださる方に信頼できる人間だと認めてもらわなければいけない。

そして一旦パフォーマンスが始まると見てくださる観客に最大限楽しんでいただくことを大切にしているそうだ。

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パフォーマーだけで食べていけるのはごく一部

パフォーマーとして技量と社会人としてのマナーを備えていれば、それだけで食べていけるかといえばそう簡単ではない。

有名になればイベントや公演に呼ばれ、比較的高額なギャランティーをもらえるだろう。

しかし無名のうちは、自ら営業をしてパフォーマンスの機会を獲得していかなければいけない。

ネットで「パフォーマー 収入」で検索して上位記事を見てみた。

どれだけ頑張っても無名のうちは年収300万円がいいところ。
有名にならなければ、ずっと変わらない。

なかにはテレビや雑誌で大人気となり、年収1,000万円を超えるスーパースターもいる。

が、ごく一部である。

そのようなチャンスを引き寄せたパフォーマーは、海外の大きなコンテストで優秀な成績を収めたり、一流のパフォーマーに弟子入りしたりして腕を磨いてきたりした人たちである。
極めて厳しい世界だ。

パフォーマーとしてのリスク

「ぼくは少し前までパフォーマー1本で生きていこうと思っていたんです。だから、アメリカのラスベガスにまで本場のパフォーマーのコンテストにも挑戦したのです。でもね、パフォーマー1本でやっていくのは、本当にリスクが大きいことに気がついたのです」

リスクに気づいたのは、2020年の2月から流行し始めた新型コロナウィルスの蔓延がきっかけである。

コロナがすべてを奪った

「コロナ以降、全てのパフォーマンス機会がキャンセルになってね。

人との接触ができないとパフォーマンスは何もできないんです。だから、ほんの最近まで全く仕事がありませんでした」

人に集まってもらうこと、笑顔になってもらうこと、大きな声援をもらうこと、にパフォーマーの存在理由がある。

これら人と繋がる行為がいっさい感染を広める行為として中止を余儀なくされた。

「コロナはちょうどぼくがパフォーマーとして波に乗り始めた時に来たのです。これからというときにとても残念でした」

大勢の観客の前でパフォーマンスができない。この無念さは、他の先輩たちも同じだ。

「ぼくの尊敬する先輩にパフォーマー1本で生計を立ててきた人がいるのです。コロナの中、その先輩の気持ちは推して知るべしなんですが一切その無念さを口にせず、できることを一生懸命しているのです」

先輩の姿に勇気をもらい、YouTubeでの発信活動を始めた。

将来の目標

「パフォーマー1本で稼げればいいのですが、それはとてもリスキー。コロナで身をもって体験しました」

「いまの収入のうちパフォーマーの収入割合は2割ぐらいなんですが、将来7割ぐらいにしていきたいと考えています」

そのために、デイサービスとか、幼稚園とか、芸術鑑賞会などにも仕事の範囲を広げていきたいそうだ。

Aiさんの今後の活動と夢

そしてその先にある夢が、日本にこだわらずに海外でも通用するパフォーマーだ。

「コロナ前の2019年にアメリカラスベガスで行われたサーカスコンテストVIVA FESTに参加しました」

Aiさんは、VIVA FEST Emerging Pro ground soro部門で総合7位の実績をもつ。

VIVA FESTとは、2016年からアメリカのラスベガスで始まったサーカスの大会のこと。学生・新人・プロの枠でパフォーマンスを競う。そこでパフォーマンスが注目されれば、世界最高峰のサーカスカンパニーCirque du Soleilや、オーディション番組Americaʼs Got Talentの出演などのビックチャンスをつかむことができる。

VIVA FEST

そこで感じたのは、活動の範囲を日本だけにしておくのはもったいない、ということ。

「自分一人でやるよりCirque du Soleliのような大きなサーカス団に所属してその一員として活躍するのも面白いなと感じました」

尊敬するパフォーマ-は、深川あきらさんや生方洋佑(うぶかたようすけ)さん。

いずれのパフォーマーも世界を股にかけて活躍している。

Aiさんの挑戦は続く。

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【取材:みらいのびた 撮影:古川晃

取材:みらいのびた
1966年 2月生まれ
1989年 地方国立大学理学部化学科卒業
1991年 同 修士課程修了
1991年 一部上場大手日用品メーカー入社
2001年 営業職に異動
2012年 製品安全部に異動
2023年 2月に早期退職
2023年~専業ライター
https://note.com/ezv02637/n/ne02f0706d8d0

撮影:古川あきら

https://furukawa-photooffice.com/


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