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魔術的リアリズムをやっと理解する。法隆寺にまた行きたい。
「百年の孤独」を読んでるけど、南米に明るくないので情景が目に浮かばず、中々入り込みづらい‥
読むのやめよっかなーて何度も思うけど、躁状態みたいな段落のない文章につられてついつい読んでしまう。
アルカディオ、ほんまは寂しかったのかあ…
空飛ぶ絨毯が出てきたり、袋に入った親の遺骨がゴトゴトいったりするの、
魔術的リアリズムってやつだそうだ…ふうん…
ふうんって思っている間にもうひとつ本(漫画)を読み始めた。「日出処の天子」。
この漫画で描かれるの聖徳太子はエスパーで、戦場で自作の四天王像を空に投げ上げて、剣の護法童子というスタンドみたいなのを呼び出したり出来る。人の心を読み、苦界の魑魅魍魎と対峙し、またこの美男子は時々般若みたいな顔になり自らも魔となる。
っていう一連の虚構が全く違和感なく納得出来て、古代の人の気分ってこんなんだったんだろなーって思える。
そうか、これが魔術的リアリズムなのかあ‥と理解出来た。
山岸涼子は梅原猛の「隠された十字架」に着想を得て聖徳太子伝説を書く事にしたと後書きにあり、早速それも手に入れる。
思った通り、上山春平の名前があって嬉しくなった。
上山春平さんは、やっている事が特攻隊でも京大での研究でも一緒な事に驚く。今で言うところのPMなんだろうか、人材を見極め、チームを作って研究にあたる。
法隆寺の百済観音見た事ある。すごく変な観音様で驚いたの覚えている。スラーッと流麗な曲線美の美人だった。信心がないので仏像見てありがたい気持ちになった事ないけど、百済観音だけは別だった。何だか、側を離れる事が中々出来なかった。その他の法隆寺の宝物も神秘的に感じさせるものが多くて、それは見た目の綺麗がどうこうではなく、ここに確固たる別世界があるって感じさせるような、なにか圧倒させられるような感覚だった。圧倒されて、自分の存在が揺らいでしまうようだった。
好きなお寺沢山あるけど、こんな気持ちにさせられるのは多分法隆寺だけと思う。
その他のお寺は、あくまで今の現実と地続きだと感じさせるから。
ところで、聖徳太子は実際はいなかったらしくて、すごいのは藤原不比等の構想力という事らしいです。