この国のキョー育に言いたいこと
ガッコーが「果たして」来た「役割」について、やっぱり総括する必要がある。この国に蔓延している病 理由を問わず「長いものに巻かれろ」だったり、正しいかどうかよりも周囲に合わせて主張をためらうことだったり、といった気質を形成してしまった責任のかなりの部分は間違いなくガッコーにある。
今一度、見直さなくてはならない。
教育の目的は? ゴールは?
そこに向かうのに何が必要か?
やっていることやろうとしていることはそれにふさわしいのか?
と。
ただ、価値も積極的に認めていいと思う。現場はがんばっている。がんばり過ぎている。日本の教育がなんとか回っているのは、現場の人達が日々命を削っているからだ。
だってそうでしょ?
先進国なら20人以下学級が当然なのに、その倍の人数に対してそれなりの結果を出しているんだから。今やっている内容を一切変えなくても、20人以下学級ならば、人の成長は劇的に好転するはずだ。
でもやっぱり、納得のいく仕事がしたい。そう思っている人は多いはずだ。ガッコーをdisる人は「ウン十年も教育は変わっとらん」とか言うが、その人には「現場を見たことが無い認証」を授けよう。けっこう変わったよ。みんなものすごく工夫してる(人もいる)。もっともっと変えたいんだ。納得のいく共育を、十分な金とマンパワーを費やして実行できたなら! それこそ本当に胸を張って「ニッポンスゴイーデスネ!」と叫ぶことができる国になれるはずだ。
もう一つ、どーしても言っておかなければならないことがある。ガッコー教育を縛る悪魔の一つに受験制度を挙げたい。教科指導のゴールが受験である以上、内容が縛られるのは当然である。こいつがどれだけ学びを歪めて来たか! その縛りが無い「副教科(イイ表現デスネ!)」は本当に自由だぜ。おかげで日々教科横断的な取り組みができておる。
おっと、一番肝心なのが残ってた。国家の介入だ。どうしても99%の人々には従順であって欲しい方々がいるらしい。だが自分は言いたい。そいつは持続不可能ですよと。1%の方々の望みはムチャクチャだ。プログラミングできる人であれ! アクティブにラーニングできる人であれ! 主体的であれ! だけど道徳的であれ! 従順であれ! あれ? 矛盾してないか思いっきり? 要約すると「有能な奴隷であれ」ということだよね? まだあった。「できん者はできんままで結構」とかおっしゃる方もいたな。大切なことだからもう一度言います。そんなの必ず崩壊しますって。いやもうしてるか。
主体的に生きることでこそ、世界に堂々活躍できる人になれる。それこそが国益に叶うんじゃないですか1%の皆さん!
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