あさ
っとも言えないような気だるい朝。
山をジップロックに入れてダッシュボードに数ヶ月放置したみたいに空気が白くかすれてる
空気腐っとるんか?こないだの地震で伊方ボンしたんちゃうやろななんて疑念
地震で翌日休みにしたピクニックした空気は白い末世かよ、子供達の笑顔は現世こそが現世で楽しいことがあれば爆笑するしムカつくことがあればなきわめく、だよな
松山に借りた部屋で朝食をとると仕事へのモチベが半減するので、出てからファミレスで朝食を食うていると何か書きたくなって仕事忘れて書き出した、コーヒーのおかわりマシーンのプシューって音ききながら白っちい外とこのでかいガラス窓にディフェンスされて喫茶する自分の安全に安心する。
山仕事は苦ではないその苦しみはもはや平常運転の範疇にある、ただ孤独この孤独というのは仕事にでてる時にしか味わえられないものだと気付く、思えば僕の表現はほぼ全てこの孤独から滲みでた分泌物だ。で、家庭のあれこれ育児に家事にもろもろの雑事にまみれてやっと仕事に出たら孤独とであえる涙ぐましい再会、なぁ俺たちよう、なんでこんなに疎遠になっちまったんだ?昔は飽きるほど一緒にいてさぁ、お前は飽きたからもう誰かと暮らしたい生きたいっつって鼻をクンクンさせて夜の商店街を用事もなく歩いてたのになぁ、ファミレス、フードコート、図書館、公園、どこに行くにもお前と一緒で、俺はお前からほとんどのことを学んだ、どうしてお前を信じてどこまでも一緒に恋愛になるまで変身しちまわなかったんだろう。
15年くらい誰かと付き合ったりしてるとおもう、長い間疎遠だったわけだ、もちろん人目を忍んでこうやってファミレスでお前と密会したりはしてきた、俺は寂しかったんだろうか、お前というものがいながら?よくわかんねーんだよ、女の匂いがすればそっちに引っ張られる今でもまったくそのまんまだ、むしろ年を重ねた分、蓋が重たくなったぶん中にしまいこまれた欲情は発酵してやべえことになってる。
ファミマのいつもの店員さんのいつものジーンズのケツの食い込みが半端じゃない、いや、マジで半端じゃない、パンツ履いてないんか?ってレベル、それがファミマの上着の下の裾で少し隠れたとこの下の端からチラ見するから半端ない、お弁当温めてもらわざるをえない。初めて会った時に袋いるかいらんかで、いりますか?聞かれて俺もいる、いらんどっち答えたかわからんくなって、2人でちょっとテンパったんやけどその時の感じがグッときて、うお、って心臓がいうた。マスクしてて綺麗めで目は綺麗で、マスクは卑怯ですわ、その下を期待させるから裏切られなあかんのや、着けるならそれ込みでその人なんだってこと、その人のマスクの下は未だ不明、ってか2回くらいしか会ったことない。日常の些細なありがとうのひとつ。
って、あ、ごめんごめんまたお前のこと忘れてたわ、いやもうなんなんやろなこれ、でもこういう恋的なものや欲情的なもの、家族を想う、嫁のええとこ想うこととかって、思えばそれも全部、こいつ、孤独からやってくるんよな。
5人で雑魚寝したって夜眠れば皆孤独にかえっていく、それぞれが1人の時間の中で世界を噛んで飲み干して吐く。
こういう色々な雑念思考がわちゃわちゃ出てくるってのも、実は最近になってのことやねん、1月末から3月、んで今もまだ若干、ずーーーーっと体調崩してた、もはやなんなんかまったく謎やけど、多分コロナやったんちゃうかな、かかってるのに工期がやばいってんで無理して仕事しつづけて、天気も悪くて風吹の中で植え付けしたりしてて、ある休日布団に突っ伏したら全ての病気がせきをきって雪崩れ込んできて動けなくなった、指を動かすのもつらいくらい。
で病院いったらいろいろで肺炎なりかけたりして、もうあかんかもとか思ってたけど、めーーっちゃ時間かかって治りかけてきて、なんとなく治りかけって感じの状態がまたずーっと続いてた、多分コロナこじらせて、副鼻腔炎、蓄膿なって、そっからコロナ後遺症みたいなんなって治らなくなってる、というわけで布団にはたくさん世話になった、昼も寝てるとはじめて寝てるという感覚で寝れる、夢うつつのような状態がつづいて、知らない間に俺の心身は調整されたような気がする、スマホ触る元気もなかったのも良かったかも、なぜか前田日明が神社で祝詞あげてる動画だけたまに見てて俺も参拝しよってなって、昨日書いた日記のような最近の読書遍歴がはじまった。
ほんとは書きたいことが、書かなきゃ忘れるようなことや想いが胸にはいつも流れていて、俺の思考のモードのようなものの週刊誌は常に週刊していて、でもされを印刷出版してないから何も残らないという日々が続く、でもそんなこんなの俺たちの群像劇も今の俺の中に集約してるだろうし、俺の血と涙はチビどもの笑顔になって存続していることを期待したい。
一度ついこないだ、嫁と喧嘩というか、喧嘩ですらない、俺が吠えた、たいしたことないことにキレて大爆発した喉仏を震わせただけやけど、出したこともないような大音量やった、自分でもびっくりした皆んなドン引きした、自分でもワケワカランかった、全てが限界やったんやろうと今にして思えばおもう、仕事、家庭、家計、人間関係、体調不良、明日への不安、背負ったこともないもん全部背負っててくしゅっと潰れた。ぷぎゃぁってそれが怒りになって口から出た。
体調不良で寝込んでたことと、あの叫びが良かった気がしてる、あれは破邪の一声、わめいた瞬間自分にまとわりついてた重たいものが晴れた気がした、あぁ感情に着火するってこと、ずいぶんしてなかったなぁと気付く。
そっから自分と向き合う時間増えた、いや、増やした、無理なものを無理にしたらあかん、仕事の時しか孤独と向き合えないなら仕事ある程度やってさぼって孤独と向き合いたい、贅沢でわがままかもしれなんが、俺はこういう仕様なんだからどうしようもない
そしたら家庭にもある程度この孤独持ち込めるようになった気がする、子供と粘土で遊んだりする、俺はマジのマジでオーブン粘土で灯籠を作ってあげたらめっちゃ喜んだ、灯籠つくりまくり、こないだは茶碗作ってみた、茶碗ほしくて砥部焼の会館めぐったりしたけど、良い茶碗はいっぱいあるけど、あと一歩欲しい、で、茶碗は手触りがだいじ、手への委ねられた安心感みたいなの、ってことに気がついて、手触りもなにも手触りで作ったらええんちゃうの?ということで手触りオンリーでこねあげた茶碗作成、昔陶芸やってたのもすっかり忘れて、いきなり塊から造形して一部薄めたら波みたく違うところにしわ寄せがいくし、陶芸ってまじで素晴らしいな、見た目とか他の評価は知らんけど、僕は陶芸に才能があると思う、他のことでそんなことほとんど思わないけど、陶芸やってる時のなんつーか憑依感、没入感はかなりやばい、陶芸って政治っぽいんだよな、全土との対話、一部に無理願うと他にしわ寄せがくる、茶碗の側面を薄くしようとすれば茶碗のふちがひろがっていく、全体がダレてカタチが保てなくなる、保ちたいけどこここうしたいんやってのが、しわ寄せとしてくる、その対話する感じがマジでソウルにくる感じがして、あぁ才能ってこういうことだろうなって思う。ロクロもヒモにしてやるやつもせんと、手のひらの感覚だけで茶碗にした、余った土でエスプレッソマグに。
あー書きたいことは無限にあるな、生薬買い寄せて作ってる漢方のこととか、葉巻デビューしたこととか、ウィスキーに燻製かけて飲むのとか、最近東浩紀が面白いなってこととか。
とりあえずファミレスの快適にケツから根が生える前に山へ行くか。