"カワイイ"を手にする為に足掻いた男の10年
「可愛くなければ生きていけない
可愛いだけでは生きていけない」
これはカリスマモデルで知られる 押切もえが
テレビ番組「情熱大陸」で語った名言であり
私の記憶に深く刻まれている言葉だ
そして、自分が納得できるレベルの
"可愛さ"を手にした後により響いた言葉でもある。
10代の頃、自分はどうしてこんなに世間からぞんざいな扱いを受けるのだろうと思った。
15歳前後の"子供"にも世間はこんなに冷たいのかと絶望したほど、人から優しくされた経験が無かった。
その経験から"人嫌い"を発症し
コミュニティに属する事を避け単独行動が増え
それが原因でコミュニケーション障害をより加速させ
さらに社会や人の輪に馴染めなくなる悪循環に陥っていた。
ぞんざいな扱いを受ける原因は自己分析の範疇でしかないが
やはり「見た目のキモさ」が大部分を占めていたように思う
もちろん行動や言動や人柄ひねくれた性格、自信のなさからくる澱んだオーラなど他にも様々な要因はあれど
それらは「見た目について散々揶揄され罵られた経験から出来上がってしまった人格」であると考えられるため
1番の根源はやはり第一印象の悪さにあったと感じる。
自分に対してつらくあたる周りの人間が誰も許せなかった
不自由の無い容姿に生んでくれなかった両親も許せなかった
だけど、そんな誰よりも自分自身が1番嫌いだった。
この状況を打破するために
20代に入った節目に10代の頃の反省点を活かして自己改造計画がはじまった。
ここから人生をやり直すために
"10代の失われた青春を取り戻したい"とか
"馬鹿にしてきた人間を見返したい"とか
中にはそういった気持ちもありつつも
1番の理由は
「自分が自分を好きでいられる為に」
自分自身の内面を変える為の第一歩として
まず見た目を変えようと思った。
見た目を変えずに自信をつけたり
内面を磨く事はまず不可能だと思った。
"見た目よりまず内面を磨け"なんていうのは間違っていて
そんな事が出来ていればこんな悲惨な10代はおくっていない
"内面を磨くためにまず外見を磨いて自信をつける"のが最初のステップとして必要なのである。
「外見は内面の一番外側」という言葉もあるくらいだ
綺麗事を抜きにして、現実はルッキズム社会なのだ。
それを受け入れて、まず自分が最低限人に不快感を与えず
そして人にナメられない姿になろうと思った。
ステップ1 脱毛
「髭脱毛したら?」 「髭青いよ」
ルッキズムが時代遅れとされる現代では
そんな言葉を投げかける人間はデリカシーが無いと言われてしまいそうだが
結果的に自分は周りからその言葉をうけて脱毛に踏み切る事ができた
「キモい」などの罵倒はただ人を傷つけるだけだが
上記のような具体的な指摘は、何から手をつけるべきか悩んでいる人間にはとてもありがたい言葉だ。
ハタチになり、仕事でまとまったお金が手元に入るようになってまず最初の自己投資に脱毛を選んだのは間違っていなかった
10代の頃、皮膚科の薬でも改善されず長く自分を苦しめていた"肌荒れ" "ニキビ"はこの脱毛によって瞬く間に解消された
また、どことなく全体からただよう"不潔感" "野良犬っぽい小汚さ"も脱毛により無くなった
もともと肌が弱い事もあり医療レーザー脱毛ではなく刺激の無い光脱毛を選んだが
しっかりと効果はあり、今現在もほぼヒゲが生えてくる事がなく、シェーバーが必要無くなった。
顔のニキビ1つで一喜一憂してしまうのが人間というものだ
肌質が整う、肌荒れがなくなるだけで
人はかなり自信を取り戻す事ができるという事がわかった。
ステップ2 二重整形
脱毛とほぼ並行して次に着手したのが
重たい一重まぶたを二重にする整形だ
これも最終的に決断したのは自分自身だが
他人の言葉に背中を押されてやる事になった
10代後半から20代前半まで約5年ほど
毎日アイプチを使い続けていた自分の瞼は
いよいよ限界をむかえて
アイプチのノリに皮膚が拒否反応を発すようになっていた
赤くかぶれ、爛れて裂けたところから体液が出てきてしまうほどで
医者から「もうアイプチはできません」とドクターストップがかかり
これ以上は整形で二重にするしか手段が無い、というタイミングで手術に踏み切った。
それほどまでに、整形に踏み切る第一歩は勇気が入り、慎重だったのだ。
だが、目元がパッチリ二重になった事で圧倒的に自己肯定感が上がり
整形に対して感じていたハードルはいっきに下がった。
ステップ3 歯科矯正
肌荒れ、青髭、一重まぶたのコンプレックスが解消された。
残るは"口ゴボ"と言われるアデノイド顔貌の改善だ
これもまさしくタイミングであり
親知らずが全て生え終わったタイミングで
上下親知らず4本と健康な歯上下4本
合計8本の歯を抜歯して矯正をスタートさせた
この時すでに24歳をむかえており
矯正が終わり器具が外れるのは28歳
まる4年の月日がかかった。
矯正は整形よりも辛く
4年間、口内が常に器具による摩擦と引っかかりでズタボロになり
まともに咀嚼もできず
口内炎や頭痛に悩まされる日々であったが
日に日に顔の下半身が整っていき、鏡を見るのが楽しみになっていく事で何とか耐える事ができた。
ステップ4 再度二重整形・口角挙上・M字リップ
歯科矯正が完了した翌年
1度目の二重整形から6年が経過していた
もともとカウンセリングで「アイプチで作った目と同じにしてほしい」と頼んでいた事もあり
ほとんど二重幅をとる事もなく、また
加齢により皮膚のたるみが生じてしまい
その頃ほとんど奥二重になっていた。
ここに来て、目の開きが弱いと感じた自分は
もうかつての整形に尻込みしていた自分とは違い、すぐカウンセリングの予約をとり
目力を強くしたい、このような目元にしたいと参考資料を持参してお願いし
同時に口元の口角挙上とM字リップもいっぺんに行う事にした。
やっと全てのコンプレックスから解放され
納得できる自分へと生まれ変わる事ができた。
ただ、ここに来るまで気づけば長い年限が経っており
全てを終えた時には30歳があと数ヶ月に迫っていた…。
ステップ5 老化防止と肌質改善
ここにくるまでの過程で、とくに歯科矯正以前まではネットで見た目に対する誹謗中傷なども受けており
写真なども加工に頼る部分が多かったため
実物とのギャップに悩み、苦しんできたものの
歯科矯正後からは容姿に対しての誹謗中傷は完全に無くなり
誰ひとり悪くいう者が現れなくなった
「自分が好きでいられる自分」になる念願は達成され
2度目の二重整形、口元の整形後に関しては無双状態と言えるほど
"見た目によって得をする"機会が増えた
アップデートの過程で人から優しくされる事が増えた事で
自分自身も人に優しくする余裕が生まれ
人との付き合い、コミュニケーションに弊害を感じることも無くなった
約10年かかってしまったものの
やっと外側も内側も生まれ変わる事ができた今
目の前に差し迫る30歳という数字に
一抹の不安と恐怖を感じてしまう
その理由が老化だ。
せっかく可愛くなったのに
せっかく生まれ変わったのに
老化でそれが台無しになっては
何のために努力してきたのかわからない
せめてあと10年、この姿をキープしたい
そして次なるステップに選んだのが
アンチエイジングだ。
ありとあらゆる老化防止に繋がる方法を調べ尽くした結果
現在のルーティンが出来上がった。
・週に一度プラセンタ注射
(シワ、わるみ、老化予防、アンチエイジング)
・毎日の老化防止サプリメント摂取
(セサミン、アスタキサンチン、ニコチンアミドモノヌクレオチド)
・毎日食べるものは基本、抗酸化作用のあるもの。
(ブロッコリー、ほうれん草、トマト、アボカド、椎茸、サーモン、鯖、ミックスナッツ、お肉、玄米(キヌアと小豆を混ぜて炊く)、ブルーベリー、キウイ、オートミール、全粒粉パン、オーガニックの無調整ハチミツ)
・添加物、加工肉、ジャンクフード、揚げ物、スナック、甘いものを一切食べない
(ただし友達と遊ぶ時とびきり見た目の可愛い食べ物などはいただく)
とにかく老化の原因となる体内の糖化を避けたい
そのためには糖化を引き起こすリスクのあるものは全て避けて食べない
・飲むものも抗酸化作用とデトックス効果のあるもののみ
(ミネラルウォーター、白湯、緑茶、烏龍茶、麹の甘酒、アーモンドミルク、チアシードドリンク)
・基本いっさい直射日光を浴びない、浴びるとしたら手のひらだけ
(ビタミンBを補給するため日傘から手のひらだけ出して軽く太陽に当たる)
・365日日焼け止めと日傘でUVケアを徹底(これは高校生の時から継続し実践している)
・飲酒や喫煙など一切しない
(以前はたまに付き合いで飲酒する事もあったが、今後人生で一滴も飲まないと決めた、そもそもカワイイを作る上で上記2つは論外である)
他にも睡眠時間やストレスなどに気をつけながらも
基本は上記のルーティンを守って現在は生活をしている。
【"可愛い"を手にした その先にあるのは"可愛いだけ"では生きていけない現実"】
外見をアップデートすることで
以前感じていた他人からの扱いは劇的に変わった。
かつての自分が耐えてきた辛い経験が嘘のように、周囲の反応もポジティブになり、自分自身にも余裕が生まれた。
ただ、見た目に対する劣等感が無くなったからこそ 冒頭にある言葉通り
「可愛いだけでは生きていけない」という現実に気づいてしまう。
可愛くなかった時代は「可愛くなれば全てが上手くいく」と思っていたのだ
現実は、上手くいく事は増えるが、見た目で全てが上手くいくなんてそんな甘い話はない。
むしろ「見た目は確かに大切だが、それ以上にやはり他に実力をつけなければ意味がない」という事を思い知る
なんせ、この世に目を向けてみれば
見た目の良し悪しに捉われず実力で評価されている人間がたくさんいるのだから。
見た目をよくする事で、ただ生きているだけで日々傷つくような状況からは解放されて良かったけれど
そこから先はスケールの小さい得した経験なんぞで喜んで満足している場合ではない
中身を育てなければならない
それは性格や思考や内面という意味も含まれるが
もっと「知識」とか「ユーモア」とか「表現の幅」とかだと思う。
今の自分に対して「中身が全くない」とは思わないが
外見が先行してしまい、中身が不足してる感じは否めないし
今どこかコンプレックスや劣等感を覚える部分があるとすれば
それはやはり表現力やユーモアの乏しさ、知識の浅さだと感じる
可愛くなければ生きていけない
しかし、同時に
可愛いだけでは生きていけないのだ。
30歳からはスカスカで中身の無い人間にならぬよう、中身をミチミチにつめていく努力をしたい。
正直まだそのために何をすればいいのかは模索中なのだが
これまでと同じよう自分を好きでいられる道をこれからも探していきたいと思っている。
今回は、これまで、見た目をアップデートするために10年を費やしてきた一方で
今まで自分の気持ちや考えを長い文章で表現することは苦手で避けてきた部分でもあったので
新たな一歩だと思って書いてみた。
自分は20代から変わる努力を始めたけれど
きっと何歳であっても遅い事はないし、努力は無駄にはならないので
この記事が、誰かが変わる一歩を踏み出すキッカケになれたら嬉しいです。