聴覚障害者とマスク


朝起きて、妻の右目が腫れていた。たまにあるのだが今朝は酷い腫れよう。
仕事でのデスクワークで目を酷使しすぎだ。瞼がぼっこり💧今日はお休みを頂いた。(明日は今日休んだ分の仕事の書類がいっぱいたまっているだろう。)

天気痛、聴覚障害、めまいにふらつきもちの彼女だが、
「眠い眠い。」
と言いながら、子供達を学校に送り届けて、すぐに、どしゃ降りの中バルコニーに出て濡れながら掃除をする。

私が、「寝なよ。」
妻が、「眠いよ。」
言いながら行動している。

不思議だ。私がやるから寝なよと言ってもありがとう、言いながら全部終わらせてしまう。

横になると天気痛が辛いかな。
私がパソコン上で仕事をしている。
妻は普段なら出来ない細かい掃除をしている。
そしてたまにあくびする。

「そういえばさ~~。」
妻がこう切り出すと話が止まらなくなる。お話好きで、こっちが聞いていなかろうとしゃべりつづける。
妻は聴覚障害。補聴器をつけている。生まれながらの難聴である。
子供2人産んでから、めまい、ふらつきが酷く、心配だ。

妻の父親、母親、妻の弟は生まれながらに全く耳が聴こえない。
妻だけは補聴器つければ電話でのコミュニケーションも可能。(羽切良く、多少大きめの声を出さなければ聞き取れていないが。)

妻は某大手ゼネコン勤務。かなりのブラック企業で、在宅勤務は許されていない。職場にコロナの陰性者(同じ建物だが部署は違う。)が出ても出社だ。
通勤時間も1時間半かかる。
そんな妻だが、週末には2人の娘を含む2
0人から30人の子供達と走り回っている!
しかしコロナ禍もあり、マスク越しの会話はほぼ不可能。
走り回っている子の中には、マスクを取らない子もいる。(偉いが、妻はコミュニケーションがその子達とは取れずに、会話が成立しない。)
普段の用事でも、例えばコンビニの買い物時でも「レジ袋にお入れしますか?」マスク越しなので、妻には、話かけられているのかさえ理解不能。
相手の目を見て、察するしかない。
これは精神的にストレスになるだろう。
コンビニで買い物すらストレスになるのだ。
会社ではさらなるストレスだろう。
飛沫防止の透明な仕切り板なら、マスク無く良かろうと思われるが、声が届かなくなるので、相手の口をじっと見なければならない。これもなかなかのストレスだろう。マスクは聴覚障害者にとっては、コミュニケーションの大きな妨げだ。意思の疎通が出来ないのは、感情がおかしくなるだろう。全く耳が聴こえない人にとっては、相手の口を見て何を言っているか理解出来るから、致命的だ。(親切に筆談してくれる人もいるが。)誰もが手話を使えるわけではない。
妻はまだ幸せだ。娘の友達から人気者で、子供達が勝手に手話を覚えてくれた!!
気づいたら普通に指文字が出来ていて、感動した!!
妻の影響力は改めて凄いと思った。

しかし改めて、聴覚障害者がコロナ禍でどの様に活きやすくさせる事が出来るのか、役所の手続きはコロナ禍以前より倍かかる。もしくは、翌日に持ち越しだ。筆談だと凄まじく時間がかかるのだ。
どこのお店や施設にも、1人は手話の使える人がいれば、だいぶ違ってくるだろうが。









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