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日々是好日

仏教、禅宗、世間では意味や使われ方が異なります



〈目次〉
1.日々是好日の意味(禅宗での概要)
2.吉日や凶日はあるのか?
3.いい日か悪い日かはどう決まる?
4.日々是好日の使われ方
5.禅宗における日々是好日の意味
6.禅宗における悟りとは

1.日々是好日の意味(禅宗での概要)
日々是好日(ひびこれこうじつ)は、禅宗が起源です。辞書では禅語として使われる場合、次のように記載されています

………

雲門文偃(うんもんぶんえん)の言葉。
日常の一日一日に真理が実現しているということ。

………


2.吉日や凶日はあるのか?
日の良し悪し吉凶については、お釈迦様はこのように教えられています。

………

如来の法の中に良日吉辰をえらぶことなし。

………

「如来の法」というのは仏の教えということで、仏教のことです。

「良日吉辰」とは、「良日」も「吉辰」も同じ意味で、吉日のことです。

「えらぶ」というのは区別することですから、
「如来の法の中に良日吉辰をえらぶことなし」とは、いつが良い日(良日吉辰)なのかを区別することはない、ということを意味します。

この日は良い日、この日は悪い日といった日の吉凶はないと教えられているのです。

3.いい日か悪い日かはどう決まる? 
ではなぜ日の吉凶がないのかといえば、私たちの運命は自分の行為によって決まる、という教えがあります。


どのように決まるのかというと、お釈迦様はこのように教えられています。

…………

善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)

…………

善い行いをすれば、善い結果が現れる。
悪い行いをすれば悪い結果があらわれる。
自分のまいたたねは自分が刈り取らなければならない、ということです。

自分の運命は、日によって決まるのではなく、自分の行いによって決まるのです。

仏教ではこれを昔から「自業自得」または「因果応報」と教えられています。

その日が良い日になるか、悪い日になるかを決めるのは、自分の行いなのです。

善い行いをすれば良い日になるし、悪い行いをすれば、悪い日になります。


4.日々是好日の使われ方
自分の運命は自分の行いによって決まるのだから、その人の種まきによって、善い種まきをすれば良い日になりますし、逆に悪い事をすれば悪い日になります。

だから「日々是好日」という時は、「毎日毎日良い日にしていきなさい」という意味で使われます。これは仏教の教えにかなう使い方です。

吉日なんかありませんよ、
地道な努力が良い結果を生み出すから、善い種まきをしなさい。

逆に13日の金曜日が悪いということもありませんよ、そんなことよりも、悪い種まきが不幸や災難を生み出すから、悪い種まきは慎みなさい、
地道に善い種まきをしていきなさい、
仏教では、このように教えられています。

他にも世間では、もう少し分かりやすく、「日々是好日」を「毎日毎日良い日なんだ」という意味であるとして、日々の心の持ち方を良くするために使われることがあります。

また、人は苦しみを嫌い、楽を求めます。
それなのにこの世は楽しみは少なく苦しみが次々やってきます。

そんな人生において「『すべてのことは自分にとって悪いということはない』という心持ちで生きよう」という意味で「日々是好日」は使われたりします。

また他にも、その日その日が「好日」(良い日)だと迎え、吉凶の別を定めず、「おもい立つが吉日」でいつでも自分の都合の良いときに物事を行おう、という意味でも「日々是好日」という言葉が使われることもあります。


5.禅宗における日々是好日の意味
禅宗では深い意味があります。

日々是好日は誰の言葉なのかというと、唐の時代の中国の禅僧で雲門宗を開いた 雲門文偃(うんもんぶんえん)だといわれています。

『雲門匡眞禪師廣録』にこのようにあります。

…………

十五日已前は爾なんじ に問わず、十五日已後、一句を道いい将もち来たれ。
代わりて云わく「日々是好日」と。
(漢文:十五日已前不問爾 十五日已後道將一句來 代云日日是好日)

…………

これはどういうことかというと、禅堂では、問答を行う日が決められています。

五日毎に行う「五参」といわれるものでは、毎月1日、5日、10日、15日、20日、25日の6日です。

その中で、1日と15日が最も重んじられています。

その15日の問答の時のことです。
15日の朝、雲門が、弟子の禅僧に向かって発した問いです。

ですから「十五日已前は爾なんじに問わず」とは、これまでのことについては、そなたたちには問わない、ということです。

「道將し来たれ」というのは、「道」には言うという意味があるので、言ってみなさい、ということですから、「十五日已後、一句を道將し来たれ」は、これからのことを一言で言ってみなさい、ということです。

ところが誰も答える弟子がなく、みんな沈黙していたので、雲門が自ら「日々是好日」と言った、ということです。

この雲門がいう「日々是好日」の意味、次のように解釈されています。

日々好日とは、十五日已前も已後の概念もそのままにして、而もそれに囚われない観照※の立場に立てと云う意味で、日々好日とは観照即ち超越の立場に於ける心持ちを現したものです。

※観照とは、真実の智慧を働かせて、個々の事物やその理法を明らかに洞察すること。

つまり日々是好日の意味は、禅宗の悟りの境地(観照即ち超越の立場に於ける心持ち)を表した言葉です。


6.禅宗における悟りとは

禅宗の悟りは、以心伝心※であり、座禅によって言葉にできない大覚円成※の仏の心をそのまま体得するものです。

※以心伝心とは、言葉によらずに、互いの心から心に伝えること。言語では説明できない深遠・微妙な事柄を相手の心に伝えてわからせること。

※大覚円成とは、万物の存在の尊厳性のことを示す。

仏の心を体得するとどうなるかというと、動揺不安が自ずから取り除かれて、いわゆる安心立命の地をえられるわけです。

物事に対して動揺することのない心になるようです。

座禅によって悟りをえられれば、煩悩に縛られることなく、平安で幸福な生活を送ることができ、日々是好日の人生になると言われています。


参照元: 「日本仏教学院」Webサイト

以上

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