アドラー心理学/ 「原因論」と「目的論」はどちらが正しいのか?
〈目次〉
1.「原因論」と「目的論」とは?
2.どちらの理論が正しいのか?
3.「嫌われる勇気」で広まった一つの「誤解」
4.状況に応じた柔軟な思考が何より大切
1. 「原因論」と「目的論」とは?
まず、「原因論」と「目的論」について簡単にご説明いたします。
原因論とは『原因があって結果がある』という考え方で、フロイトが提唱しました。
問題を作っている原因を特定し、それを解決することで結果を変えられると考えます。
心の問題に置き換えると、問題を作っている原因を過去に探っていき、それを解決するというアプローチになります。
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目的論とは『目的があって結果がある』という考え方で、アドラーが提唱しました。
問題の深層には目的が存在し、その目的を見直すことで結果を変えられると考えます。
心の問題に置き換えると、過去ではなく「いまここ」に目を向け、その問題を作っている目的は何かを見極め、そこを修正していくアプローチになります。
ビジネスシーンでは「なぜ?」を最低5回繰り返して原因追及するなど、元々は「原因論」が一般的な考え方でした。
この考え方は有効ですが、人々が集まる営みに対しては、やり方を誤ると、人格否定になるつかがる恐れがあります。
そんな中、2013年頃に「嫌われる勇気」という書籍がベストセラーになり、この中でアドラー心理学の「目的論」が取り上げられました。
この「目的論」は、これまでの「原因論」とは真逆のアプローチを取り、今や未来といったポジティブな側面が強かったため、瞬く間に広まりました。
2.どちらの理論が正しいのか?
では、「原因論」と「目的論」はどちらが正しいのか?
結論としては、『どちらも正しくて状況に応じて使い分けが必要』と考えられます。
例えば、「朝起きれない」という問題に対して原因を追究していくと、「朝が弱い体質」が原因かもしれません。
しかし、そう捉えると体質はなかなか変えにくいので、「原因論」だけでは問題解決には繋がりません。
こういう時は、「朝早く起きる目的(メリット)は何か?」という「目的論」を用いて考えると解決に繋がりやすいと思われます。
とはいえ、「目的論」だけではどうしようもないケースも当然あります。
例えば、大きな事故に遭い、そのショックで家の外に出るのが恐くなってしまったとします。
この時、どれだけ「家の外に出る目的」を考えたとしても、人間はすぐには動けません。
むしろ、事故のショックが癒える前に無理をさせると、さらに症状が悪化する危険すらあります。
こういう時は、まずは事故のショックによってできた「心の傷」を癒やすよう「原因論」で考えた方が解決に繋がるでしょう。
このように、本来この2つの理論は相反するものではなく、状況に応じて使い分けるものだと僕は考えています。
にも関わらず、どうして多くの方が対立する理論のように考えてしまうのか?
そこには、ある一つの「誤解」が影響していると思われます。
3.「嫌われる勇気」で広まった一つの「誤解」
「原因論」と「目的論」が対立関係のように扱われる背景には、「嫌われる勇気」によって広まった「ある一つの誤解」にあると考えています。
その誤解とは、『トラウマは存在しない』というもの。
「嫌われる勇気」の中ではこの一節が描かれていますが、実はこれ、全くの誤解なんです。
というのも、この書籍がそういった表現をしただけで、アドラーは「トラウマは存在しない」とは言っていません。
アドラーは過去が全てを決めるような極端な過去決定論を問題視していただけで、「トラウマが存在しない」とまでは考えていませんでした。
むしろ、『問題解決には人生の意味や目的が重要だが、それは5歳までの経験にかなり大きな影響を受ける』とアドラーは考えていたんです。
つまり、目的論の中核をなす「目的」自身にも「原因」があるということ。
こういった背景から、僕はこの2つの理論は対立するようなものではなく、どちらも重要だと考えています。
4.状況に応じた柔軟な思考が何より大切
人の悩みの根本原因は幼少期に負った「心の傷」が多いです。
これはフロイトの提唱した「原因論」にあてはまります。
しかし、それと同時に、「心の傷」を解消するだけでは人は幸せになれないと思います。
たとえ心の傷を解消して「ラク」にはなれても、その先にある「幸せ(人生の目的)」を自ら考え、そこに向かって進んで行くことで人生が豊かになるでしょう。
これはアドラーの提唱した「目的論」にあたります。
「原因論」と「目的論」は状況に応じて使い分けることが大切です。
参照先: 「心理セラピスト おおのたかゆき公式サイト」
以上