浅草神社
浅草神社は旧名を「三社権現社(さんじゃごんげんしゃ)といいます。
推古天皇36年(628)に浅草寺のご本尊聖観世音菩薩を感得した檜前浜成・竹成兄弟と、私邸を寺としてご本尊をお迎えした土師中知の三人を祀るところから「三社」と称されています。
浅草神社の祭神はこの三神であり、浅草の総鎮守として崇敬を集めています。
平安から鎌倉時代にかけて、日本の神は仏教の仏が姿を変えて現れたものという習合思想が盛んになり、浅草寺と浅草神社も長く不可分の関係にありました。
浅草神社の神前で浅草寺の僧侶が読経し、祭礼もともに行なわれていました。
浅草神社と称するようになったのは、明治政府による神仏分離令以降のことです。
ここにある社殿(神社の建造物)は慶安2年(1649)三代将軍徳川家光が寄進し、国の重要文化財に指定されています。
この時、浅草寺本堂も同時に建てられたが、惜しくも江戸時代の大火の際に消失してしまいました。但し、神社のほうはその大火を免れ、当時の様子を今も残しています。
社殿は平成8年(1996)に修理が行なわれ、かつての鮮やかな色彩がふたたびよみがえりました。
浅草神社の最大の年中行事が三社祭です。
江戸時代は「観音祭」と呼ばれ、浅草寺と一体となった祭でした。
そして今も姿を変えながらも、浅草の初夏を彩る大祭として賑わいをみせています。
参照元: 「あさくさかんのん 浅草寺」Webサイト
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