第48回ロッテルダム詩祭開幕:吉増剛造さんに会いに行こう!
今年もまたロッテルダム詩祭の季節がやってきた。なんと48回目だという。ほとんど半世紀にわたって、毎年夏至を目前に控えたこの北方の都市に、世界各地から詩人たちがやってくる。それぞれの懐にとっておきの詩を引っさげて。
ロッテルダムはヨーロッパ有数の港湾都市、つまり交易の要だ。機械や商品や農産物にまじって、このときばかりは詩もまた人類の生産物のひとつとして、分かち合い交換しときには取引されるのだ。
(メイン会場のRo theater)
ここに大岡信は計6回も招かれている。谷川俊太郎も初期の参加者で、詩祭の創設者マルティン・ムーイの自宅には、そのとき谷川さんが書いた自筆の詩(「本当のことを云おうか」)が誇らしげに壁にかけられていた。
僕もここで何人もの日本の詩人と会ってきた。岩切正一郎、野村喜和夫、田口犬男、伊藤比呂美、そして白石かずこ。外国の詩祭で聞く日本の詩の響きは格別だ。
今年は吉増剛造が来るという。その紹介文を書くように事務局から命じられたが、とても僕には荷が重過ぎる。そこで吉増剛造の詩にイカれてこの道に入ったという(ちょうど僕が谷川俊太郎の詩に対してそうだったように)、野村喜和夫に助けを求めた。
その英訳が今日詩祭のホームページにアップされた。
http://www.poetryinternationalweb.net/pi/pif2017/festival/poet/28327/Gozo-Yoshimasu/en
だが原文の日本語を紹介しないのはあまりにももったいない。ほとんど散文詩のような文章なのだ。
吉増剛造は、日本現代詩に未聞の言語空間を開きつづけている詩人である。最初は、1960年代──日本現代詩の黄金時代──のいわゆる「60年代ラディカリズム」をリードする詩人のひとりとして、宇宙的かつウルトラモダンな疾走感覚と言葉の原初的なエネルギーの解放をもたらした。1970年代になると、「疾走」から「歩行」へと詩作のスタイルをゆるやかに変容させ、「耳を澄ます」ことへと発話のポジションを移しつつ、とくに1984年の『オシリス、石ノ神』以降、土地の精霊と交感する憑依的主体として、あるいは万象の声の捕獲装置として、テクストというよりは楽譜のような、さらなる未聞の言語空間を開いていった。吉増の詩作は朗読パフォーマンスと切り離せない。また近年では写真や映像作品──gozo-Cineと呼ばれる──にまで表現の領域を広げ、いわば言語の壁を突き破ったさきに開けるような詩的世界を提示しつづけている。すなわちそれは、もはや厳密な意味での言語(=ラング)ではなく、一種の翻訳空間であり、諸言語の「あいだ」であり、音、文字、声などがそれぞれの固有の輝きのままに蝟集し渦巻く銀河のような世界、映像も自由にそこに流れ込んでゆくところの、もはや「ジャンル吉増剛造」としかいいようのない世界である。(文責・野村喜和夫)
先輩詩人への畏怖と敬意を通して、詩そのものへの偏愛がひしひしと伝わってくるではないか。そしてそれこそ、詩祭の期間中、ロッテルダムの街を満たしている空気なのだ。
その空気を嗅ぐために、飛行機に乗り、アムステルダムで電車に乗り換え、夜十時になってもまだ薄明るい、とてつもなく広い空と、その下でシルエットと化した風車を見ながら、ロッテルダムの中央駅に到着する。ホテルに投宿する前に、真夜中少し前の会場を覗いてみる。バス、ヤン、もうひとりのヤン、カーチャ、リザベス。懐かしい顔ぶれを見るたびに、こここそが詩と現実の和解する唯一の休戦地帯、わが心の故郷だと思うのだ。
http://www.poetryinternationalweb.net/pi/pif2017/festival/current_festival/nl