野村喜和夫による『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』書評(公明新聞 2017年5月15日):怒り、光晴、そして辻井喬
この書評のなかで野村喜和夫は僕の詩集『単ぼた』についてのキーワードをふたつ見事に言い当てている。「怒り」と「金子光晴」だ。
『単ぼた』に収められている作品の大半は、2015年の冬から夏にかけてほとんど一気に書き上げた。折りしも戦後70周年を控えて首相が「談話」を準備したり、安全保障法案をめぐって連日デモが繰り広げられたりと、近年にない政治的な季節だった。
海の向こうのドイツから、デモに駆けつけられないじれったさいに歯軋りしながら、僕も日々のニュースに追いかけていた。対岸の火事にせめて言葉の水のバケツリレーでも送るようなつもりで、これらの詩を書き綴った。そこには確かに一市民としての「怒り」があった。
だがその背後にもうひとつの、別の次元での「怒り」があったかもしれないと気づかされたのは、先月帰国して、思潮社の高木真史氏と話したときだった。刷り上ってきたばかりの詩集を前に、彼もまた「怒り」という言葉を口にしたのだが、それは数年前に辻井喬氏が僕の詩について述べた言葉でもあったというのだ。
「辻井さん、そんなこと書いてましたっけ?」僕は驚いて聞き返した。
ドイツに帰ってきてから、高木氏はコピーを送ってくれた。それは「現代詩手帖」2011年4月号の鮎川信夫賞の選評で、辻井氏はこう書いていた。
そこで私は四元康祐の『言語ジャック』を推薦するかどうかで大いに迷ってしまった。いまの詩の状況には怒りが必要だ、と常々思っていたからである。この彼の怒りは最後の作品「祈り」の
ヨブの全身を覆っていたのは
醜いカサブタなどではなく言葉だった
という二行にもよく現れていると思う。
僕はこのことをすっかり忘れていた。それにしても『言語ジャック』は政治的な要素など皆無な言語実験の詩集で、あれを書いていたとき僕には怒っていたという自覚はまるでなかった。高木氏にそうメールすると、「四元さんが常にこれまでにない詩の領野を拓こうとされてきたこと、ある種の怒りのようにも感じます。こんなもんじゃないという声は四元さんの営為にいつも現れているのではないでしょうか」とう返事が届いた。
そう言われてあらためて「祈り」の二行を読み返すと、書いた当時はあくまで意識と言語の関係についてのメタファーだと思っていたものが、実は現代詩を取り巻いている言説空間への批判でもあったのかもしれないと(なんと六年ぶりに)思い当たってくるのだった。
そしてそのように現実と表現という二重の対象を併せ持った「怒り」こそ、金子光晴の「怒り」の本質であったと気づく。彼はいつも「反対側を向いたオットセイ」だったが、その「反対側」とは戦前のファシズム体制に対してであると同時に、詩壇とか文壇、ひいては詩とか文学という概念そのものに対するものだった。
それにしても、野村喜和夫は、僕が机の左側に『金子光晴詩集』を置きながら(右側にはW. H. Audenがいた)あの詩集『単ぼた』を書いたということを、どうやって見抜いたのだろう?いや、考えてみれば当然のことだ。「怒り」を詩的原動力に据えつつ、21世紀の金子光晴たることを目指すというのは、彼自身の姿でもあるのだから。