なぜ結局評価されるのはイエスマンと声が大きい人なのか
最近、自身が所属している組織も大きくなってきて、組織が大きくなると共に、抜ける人もでてきた。
また、組織構成も毎月のように変化し、あの人がリーダーになったり、逆にメインから外されたり。
よくよく見ていくと、やっぱり上層部に好かれるイエスマンと、大したことやってないのに声だけ大きい人たちが評価されて大役をまかされたりしている。
今時イノベーション創出なり、多様性なり流行っていて、色んな考えを持つ人を尊重しよう!議論を活発に行おう!など言っている世の中の建前とは裏腹に、現実はそんなに優しくないらしい。
ここからは、個人的愚痴も含めて(ほぼこれ)、組織の将来性を考えたらやばそうなのに、なぜイエスマンと声が大きい人が評価されて残っていくのか考えてみる。
まずは、彼らがどんな人達なのかを説明したい。
まず、イエスマンについて。
彼らは本当にたちが悪い。(ほぼ悪口)
どういう人達かというと、組織の権力者を理解していて、この権力者の言うことが絶対正義。
権力者が、これやれと言えばやるし、やるなといえばやらない。意見を求められれば、権力者の出方を伺って、機嫌を損ねないよう自身の意見を濁す。
こんな人組織に数人はいるだろう。
だが、このイエスマンがなぜ厄介かというと、特にこのイエスマンが管理職、リーダー的立場だった場合。
イエスマンは、自分の配下のメンバーに指示出しをするが、基本的にイエスマンが崇拝している権力者は気分屋であるため、この指示がコロコロ変わり、配下のメンバーが混乱する。
混乱はするのだが、大抵はイエスマン配下のメンバーが何とかして業務を完遂してくれるだろう。
だが、表に見えているのは、イエスマンの全肯定な姿勢と、イエスマンの名による成果だ。(配下メンバー作)
つまり、イエスマンによって面倒を被った挙げ句、評価もされず、割に合わない。
まあ、タスク遂行するのにちょっと混乱するぐらい、どの組織でも起こり得るかもしれないが、この混乱が頻発すると、配下のメンバーは何を指針にして動けばいいのか分からなくなり、指示待ちロボットになる。
これの何がよくないって、自主性が必要ない組織なら、私は働きたくない。(いきなり個人の感想きた)
モチベーション超絶下がる。自分の頭で考えなくていい仕事なら、イエスマンでやってくれ。
こうして、組織にはイエスマンが残る。
もっと不満はでてきそうだが、キリがなさそうなのでここまでにして、もう一方に移る。
声が大きい人。彼らはイエスマンよりももっとたちが悪い。ほぼ詐欺師だと思ってる。
出会ったパターンはいくつかあるが、例えば、業務の背景や内容を全然分かっていないのに、口がうまく分かっている風に話す人達。
あとは、別に大して大変な業務でもないのにめっちゃ大変なアピールをする人達。
さらにたちが悪いのが、別に自分が何やったわけでもないのにあたかも自分の功績のように見せる人達。
大抵この声が大きい人たちの後ろには、コツコツやってる勤勉な社員がいて、基本的には彼らが働いた成果が、声の大きな人たちの面を支えている。
で、この後ろにいる社員(筆者を含む)は、声の大きい人にかき消され、評価の土台にも上がらない。
このやろぉ。
では、なぜイエスマンが評価され、組織に残るのか。
仮説…単純に、権力者の駒として動かしやすいから。
組織として動く以上、日本では決定権が集中せざるを得ない。
つまり、各組織にいる権力者は彼らの頭の中で決定したことを実践してくれる駒が欲しい。
この駒に認定されれば、権力者直下ポストを獲得することができるので、「評価」されたことになる。
また、大抵の場合、権力者はそれなりの知識と経験を持っていて、決定事項に対して、誰からの意見をもらおうとも思っていない可能性がある。
そんな相手に対して、NOTイエスマンが正論をかざして議論をしようとしても無駄であり、権力者にとっても時間と労力の無駄であるため、排除される、または自ら環境を変えることになる。
イエスマンないし、NOTイエスマン配下のメンバーについても同じである。
配下のイエスマンメンバーは、イエスマンの駒として目的遂行に長けているので、評価されて残る。逆に、NOTイエスマンメンバーは、駒としての役割を果たせていないので、排除されるか、組織への失望から自ら組織を去ることになる。
では、声の大きい人が評価され組織に残るのはなぜだろうか。
仮説…単純に、そうしないと上層部に見えないから。
評価する立場である上層部の人達は、メンバー一人一人がどんな働きぶりをしているかなど全く見えておらず、ましてや見ようともしてないだろう。
そんな中声の大きい人達が、これやりましたー!こんな課題がありますー!こんな成果がでましたー!というと、全面にでてきたこやつらだけが、確実性のある状況や成果として伝わることになる。
ただ単にそれしか見る術もないし、自ら見に行く理由も時間も労力もないのであろう。残念。
仮に、これらの仮説か正しいとして、組織のあり方、もしくは、自身の組織との付き合い方を変えるべきだろうか。
それは目的に依存するのか。
私がただ単に、評価され昇進する、ということだけが目的なのであれば、組織を変える必要もなく、今の不条理な規則に則ればいい。
私もイエスマンになって、声を大きくアピールしていけばいい。
一方、その他に目的がある場合、例えば組織が作り上げているものが、様々な角度からの意見が必要なものの場合。また、今の組織に属するメンバーの一人一人を育成していきたい場合なとなど。そんな場合には、イエスマン、声が大きい人ばかりではよくない。
組織を変えたいのであれば、イエスマン、声の大きい人ばかりにならならよう、権力者がそれを許容しないと結局何も始まらないのであろう。
個人的には、よっぽどのことがない限り、このレベルの人達が変わるのは不可能だと思っている。
ということは私にできることは一つ。環境を変えよう。
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