「ドライブ・マイ・カー」と「分人」と
アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した、濱口竜介監督の映画「ドライブ・マイ・カー」で描かれていたのは、作家・平野啓一郎氏の「分人」の世界だった。
平野氏の「分人(dividual)」は、人間を「個人(individual)」から解放する思想だ。
「個人」(individual)は、もともと、それ以上分割出来ないという意味。その成立は西洋近代社会の一神教に由来し、一なる神と対峙する一なる人間を最小単位として「個人」を定義づける。
だが、現実には、対話する他者、あるいは対面した芸術や自然などによってまるで違う顔が現れ、多面的な人格が多彩な他者やモノとの「関係性の中で出現」する。それが人間の実態であり、一人の人間を「分割して(divide)」して生まれるさまざまな人格、そのすべてが「本当の自分」=「分人」(dividual)である。
一人の人間は、複数の「分人」のネットワークで成り立っているので、いわゆる本当の自分という「中心」そのものがない。したがって、よく耳にする「本当/嘘の自分」、「表/裏の自分」などという二分法も成り立たない。「ひきこもり」も「自分探しの旅」も、自己の内部に確固たる中心があるという幻想に由来する。
また、字義から間違われやすい「八方美人」は、どこでも周囲に調子を合わせ「自分が全く存在しない」状態の人間を指すので、「分人」とはまるで逆の意味。
映画「ドライブ・マイ・カー」の主人公、家福(かふく)は、演出家として広島の演劇祭のワークショップに参加している。日本語、韓国語、中国語、英語、そして手話までもが混在する多言語演劇の舞台作品として、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を数週間かけて仕上げていく。
ワークショップでは、俳優たちに感情を一切込めず、セリフの一言一句を忠実になぞる「脚本(ホン)読み」を要求する家福。平田オリザ氏が主宰する「劇団青年団」の演出スタイルを彷彿とさせる、演じない演劇「リアル演劇」の純度を上げる光景は、まるで「分人」の誕生過程を描写しているかのようだ。
出自のまったく異なる、多言語の「分人」としての俳優が、分数的に掛け合わすように交わる。しかし、演劇の稽古が終わった途端に、現実社会の整数的な「個人」に戻る。
演劇祭の主催者は、交通事故のリスク回避のため、家福本人の自動車に専属ドライバーを雇った。ドライバーのみさきは、無口で無愛想な若い女性。家福とみさきは、車内でもほとんど会話をしない。
一人は演出家として、もう一人はドライバーとして、社会の要請する「個人」としての振る舞いだけを演じ続けることで、人生をやり過ごすように生きてきた二人。
それは、無意識下に存在する「分人」を世界に同期させず、あえて、現実世界から浮遊して生活しているかのようにみえる。
しかし、二人には、複雑な「分人」を抱えた家族との死別体験を、心に深く沈殿させて生きてきた、という共通点があった。
ある夜、亡くなった家福の妻(音)と密かに不倫関係であった俳優の高槻が、家福の車の中で切々と語る。
その夜、高槻は、通りすがりの見知らぬ男性にスマホで無断撮影された、とたったそれだけの理由で、「怒り」を抑制出来ずに男性を殴り殺してしまう。
主演俳優の逮捕により、演劇祭は中止の危機に直面する。
過去に「ワーニャ伯父さん」に主演した経験がある家福に、急遽、舞台出演を主催者が要請する。
チェーホフ作品を演じることで、自己の内部に抑圧している「分人」の表出を抑えきれなくなる予感に怯える家福。切迫した状況の中、返答に一両日の時間的猶予をもらった家福は、みさきと共に一路、北海道に車を走らせる。それは、みさきがかつて災害で、母を喪った地。
雪に埋もれたその場所にたどり着いたとき、抑圧してきた二人の「喪われた分人」が共鳴し、リアルな世界に現れる。感情の奔流に襲われた家福が、泣きながら叫ぶ。
このセリフは、村上春樹氏の原作小説にはない。濱口監督のオリジナルだ。
先にふれた「本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。」という村上春樹氏の原作の言葉に対する、濱口監督側からのレスポンスになっている。と同時に、チェーホフが書いた「ワーニャ伯父さん」のストーリー展開を入れ子構造のように利用している。
この映画は、「自己と他者」、「生者と死者」が複雑に共鳴する「分人」を、それぞれの配役に投影させることで、村上春樹とチェーホフの世界観として、濱口監督が立体的に再編集して見せた映像作品だと感じた。
今、人類は、地球温暖化の危機が進行する中で、突如発生したコロナ危機に疲弊している。2年以上にわたるこの長い閉塞期間の末に、ウクライナ戦争が勃発した。戦火の拡大に伴う、核兵器使用や原子力発電所への攻撃の可能性が言及される中、世界経済の急速な不安定化の危機が叫ばれる。
ネット上では、「シェア」や「リツイート」によって、他者の「分人」の「怒り」と「怖れ」の連鎖がつくる不協和音が響き渡り、増幅された「分人」の影が、リアルな世界に環境破壊や、差別、軍拡競争というモンスターとなって姿を現す。
どの危機もはじまりは、誰かの心に宿った小さな「怖れ」に過ぎなかった。人々は、自分の「分人」たちが生んだ影にますますおびえている。
たしかに暗い危機の情報があまりにも多く溢れている。その一つ一つにフォーカスして、そのたびに怖れや悲しみに深く、Sympathy(同期)していては、日常生活を営むことは出来ないだろう。状況に応じ、オートマチックに切り替わる「分人」スイッチが、メンタルの安全弁として機能していたからこそ、私たちは、この危機を生きながらえてきた面もあるかもしれない。
それでは、ただ明るい方だけを見つめていればいいのだろうか?
否、否、否。「明と暗」の二元論の罠に陥ってはならない。
私たちが見つけるべきは、漆黒の闇の向こうで、自ら発光する光だ。
沈黙を知らぬ音に生命力がないように、闇を知らぬ光に希望を支える力はない。乱反射するのみの光のまばゆさに惑わされてはならない。
核融合を利用した兵器や発電を簡単に口にする人間が、広島や長崎あるいは福島やチェルノブイリの人々が体験せざるを得なかった闇を真剣に見つめているとは、到底思えない。
「分人」は、平野啓一郎氏が、現代の閉塞状態という「闇」を正面から見つめつづけた中から生まれた哲学であり、「個人」を重層的なネットワークの海へ、解き放つ。
人類は、科学で裏打ちされた協和音のEmpathy(共鳴)で、オルタナティブな世界を創り出さなければならない。
インターネットで「分人」同士が結ばれ、世界は様変わりした。国家や中央から発信されるテレビや新聞といった制御されやすい旧式メディアでなく、海外のリソースから直接情報を入手することが可能となった。
オンラインで多言語翻訳も出来るので、世界の情報をリアルタイムで見ることができる。「分人」同士が、アップデート可能で、よりオープンなネットワークに双方向で繋がった。
情報入手のコストはかぎりなくゼロに近いものとなった。経済、医療、教育、外交、あらゆる分野の技術的ビックバーンが、同時多発的に発生し、人類のあり方を根本的に変えている。
ネットワークで繋がった「分人」同士が、「認知」を新たにすることで、あらゆる分野の「パラメーター」が日々更新され、結果として、リアル世界の「現象」が、変革していく。
最近、飯田哲也氏によって翻訳出版された、ビル・ナッシー「エネルギーを解き放つ」は、そんな分人的ネットワークがエネルギーの分野でも世界を変えているストーリー。これも闇の先に見いだせる希望の光のひとつだろう。
ビル・ナッシーは、小型の再生可能エネルギー発電による地域ネットワーク(スモールグリッド)によって、読者一人一人が、自らの力で地球環境に変革をもたらすことが可能だと呼びかける。通信や運輸の分野とまったく違い、電力業界がイノベーションとほぼ無縁であり続けた驚くべき100年について触れ、大型発電所から巨大な高圧線と変圧所を経由して、都市にエネルギーを供給している中央集権的で非効率的なインフラ(ビッググリッド)は、100年前にトーマス・エジソンやニコラ・テスラが設計した当時から、ほとんど進化をみせていないという事実に言及する。
ビル・ナッシーのメッセージは、エネルギー分野への言及なのだが、まるで、「個人」という固定された枠組みへの「誤解と葛藤」を越え、「分人」として自己をネットワーク化し、多様なありのままの生を生きよ、という私たちの内面へのエールのように聞こえる。それは、巨大恐竜のような「中央集権システム」という古生代の終焉が、社会と個人に連動して起きている現れなのかもしれない。巨大な電力インフラが国家規模で整備され始めたエジソンの時代、複雑な内面を持つ「分人」を主人公とする物語が、多くの人々に共感をもって迎えられるようになり、「近代小説」が産声を上げた。
ビル・ナッシーは、巻末にロバート・F・ケネディの言葉を引く。
歴史を変える。世界を変える。そのはじめの一歩は、自分を見つめることからしか始まらない。
映画「ドライブ・マイ・カー」での「自分自身を深くまっすぐ見つめるしかない」という気づきと、「ぼくは正しく傷つくべきだった」という再生の言葉。
私たちはこの地球を、この国を、そして自分の住む地域社会を、まっすぐ見つめているだろうか。闇をまっすぐ見つめているだろうか。そして、正しく傷つくことから逃げてはいないだろうか。
電力業界の100年以上変わらぬインフラの光景は、未だ他者との繋がり方に戸惑う、私たちのさまよえる「個人」を象徴してはいないだろうか。
さて、話が長くなってしまった。
映画「ドライブ・マイ・カー」に戻そう。舞台「ワーニャ伯父さん」に出演することを決意した家福が、聴覚障害者の韓国人女優が演ずるソーニャの手話をジッと見つめるシーン。
舞台上のスクリーンには、世界各国の言語でソーニャの手話の字幕が映される。このシーンは映画史に残る美しいシーンだと思う。
戯曲「ワーニャ伯父さん」は、もともと「森の精」というハッピーエンドの戯曲だった。しかし、チェーホフは、1899年「闇を見つめながら、それでも生き抜く」エンディングに書き直し、ロシア座で初演した。チェーホフによって、ロシアの民の息吹を吹き込まれたコトバは、100年有余年の時空を越え、まっすぐ現代の私たちの魂に突き刺さる。
最後に「ワーニャ伯父さん」のエンディングを抜粋させていただく。己の内面の怖れる「分人」をコントロールできぬ愚かな為政者たちによってもたらされた暴虐の闇。その中を歩まざるをえないロシアとウクライナの市民に思いをはせて。
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(ちなみに「分人」思想を文学的に最も色彩豊かに描いているのは、当然ながら平野啓一郎氏の作品群が圧倒的だ。特に「空白を満たしなさい」や「ドーン」は、分人思想を意識して描かれたより重層的な深みを持つ物語だ)