見出し画像

なぜ”一人旅はやめられない”のかについて考える:一人旅があなたにもたらす(かもしれない)効果について

私は一人旅が好きだ。
誰かと旅をすることも大好きなのだが、一人旅にはグループ旅では得られない、なんとも形容のしがたいものが宿っていると思う。それは時にあなたを包む空気であったり、肌の上を滑っていく感覚であったり。または他者との心理的、物理的な接触ということもあるだろう。そして何より、一人旅にはあなたの思考と感覚を研ぎ澄ます力がある。

例えば友人と旅をして得られるもの。
普段は選ばない道を歩く。普段は食べないものを食べてみようと思う。自分では思いつかなかった行き先を目的地にしてみる。見たもの、聞いたもの、感じたものをその場で誰かに共有できる。それだけでなく、得た感動や驚きが何倍にも膨れ上がることだってある。自分の旅を客観的な目線で記録したものが残せる(日記やメモ、写真など。これは旅の相手にもよるけれど)。

対して一人旅をして得られるものとは。
そもそもひとり旅には、普段とは異なる時間の流れがある。はじめと終わり以外に時間的な縛りがないので、時間の流れを自分でコントロールしているような感覚になる。時間を追いかけるように急ぐのもよし、時間が止まったような感覚に没入するもよし。すべては自分の匙加減次第だ。
ひとりなら、思いついたその時その場で行き先、目的、何をして何を食べるか決められる。自分の心が揺れるに任せて行動を決められるのがいい。計画していてもその時になってみたら気分が180度変わっていることだってあるし、旅の途中で見つけた素敵な景色やものを、満足するまで堪能できる。見たもの、聞いたもの、触れたものから得た様々な感情を自分の中で反芻することで、より深い気付きや感動を得ることができる。このプロセスを重ねていくうちに感性がどんどん鋭くなっていき、撮る人は写真や映像に、書く、描くのが好きな人は創作物に反映される。

私の場合は実際、誰かと旅をして撮影した写真と、ひとりで彷徨いながら撮影した写真では全く異なる。クオリティはさておき、友人旅での写真は記録した、という感じの写真が多く、一人旅の写真にはニュアンスを多く含んだ、その場の空気感までとらえた、雰囲気のある(と自分では思う)写真が多い。圧倒的に一人旅で撮影した写真のほうが好きだ。
当たり前だが、時間も存分にかけているし、構図をいくつも試したりするのでヒット率が上がるのは当然なのだが、それ以上に写真から得られるストーリーの中身が濃い。一人だから気付いた街のかすかな揺らぎ、人々の暮らしの合間のちょっとした空間なんかを、一人旅の写真はとらえていると思う。

一人旅では常に考え事をしているような、反対に何も考えていないような感覚でいることが多い。考える、というより感じているのだと思うのだけれど、その”感じた”感覚を自分の内側で何度もなぞることで、”考える”と似た感覚を得ているように思う。または単純に”なぜ”と思う瞬間に出くわしたあとに自分の中で答えを見つける作業を行うことで、ずっと考えているような感覚になるのだ。一人で非日常の中にいると、今までこれしかない、と思っていた選択肢以外にも選べる道があることに気づいたりする。またずっと囚われていた感覚を突如手放せてしまったり。簡単に言うと、”あーなんかちまちま考えてもしゃーないな”とか、”世の中にはもっともっと想定外のことがあるもんだな”、なんて瞬間に出会い、自分の悩みがとても小さく思えるこ瞬間に出会えたり、運が良ければ悩みを解決する妙案を思いついたりするのだ。これは旅を初めて以来、20年以上たった今でもそうなのだから、きっと年齢や性別関係なく、ずっとそうなんだと思う。

そういうわけで、私は定期的に一人で旅に出たくなる。
カメラをぶら下げ、何も考えずにただひたすら歩きまわる。目に入ったもの、聞こえたものに想像をめぐらし、自分なりの仮説を立ててみる。チャンスがあれば現地の人と交流する。お互いの情報を交換して、時には連絡先を交換する。日本とは違う空の色、海の色、山の色、街の色に没入する。
それらを感じ、受容し、最終的には自分のルーツ、日本について思いを巡らせる。

それが私の旅のルーティンだ。

世界を見れば見るほど自分を知ることになる。良い自分も、嫌な自分も知り、ただ受け止める。そんなシンプルなルーティンこそが、私の一人旅の理由なんだと、書いてみて気づいた。

みなさんの”旅の理由”はどんなだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!