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遠くの親戚より近くの他人

もしインターネットも電話さえもない、日常の通信手段が手紙だけだった時代にいたとして・・というか、自分の小さな頃には電話さえなかったなと思いながら・・日常の付き合いの範囲はどうなるんだろう(どうだったのだろう)ということを考えてみました。

電話も無かった時代

人はコミュニケーションせずにはいられないから、日常的には昔の男性なら会社での付き合いが主になっただろうし、女性なら近所や、子供の周辺にいる人たちとの付き合いが主になっていたんだろうと思います。

僕の記憶にある電話さえなかった時代、だいたい小学校の低学年ぐらいまでは近所の人たちとのやりとりは多かったと思います。
特にお隣さん。何回か引っ越したけど・・

最初は斜め向かいの家のお兄さんがいろいろ教えてくれるので、その人の家に遊びに行ったり、その先の交差点の角にある八百屋の〇〇ちゃん(女の子)と遊んだり、そのお父さんのトラックに載せてもらったり。

次は隣のおばちゃんがよくしゃべる人で、僕が叱られて外に放り出された時に、親に掛け合って助けてくれました。
近所の市場が家事になったときには、母が勤めていた電気屋の従業員のお兄さんが駆けつけてきて「大丈夫か」と心配してくれたり。

その次は隣に住む兄弟と歳が近くて学校が同じで、集団登校も一緒に行っていたし、お兄さんの方は僕より1つ年下なのに野球とか川で遊ぶこととかが上手で、いろいろ教えてくれました。

やはり普段のお付き合いの範囲が「近所」を中心にしていたなあと思います。たしかに親戚はだいたい遠くに住んでいて、近くにいて交流のあったのは近所の人でした。

今の時代

SNSを介して自分が選んだ人と交流することが出来る今の時代、日常のコミュニケーションは近所にとどまらない、SNSの繋がりが中心になるんだろうと思います。

もっとも、今でもSNSに参加しないで生活している人達も少なからずいると思います。自分の親戚でもLINEなどで家族のやりとりはしているけど、それ以外の赤の他人と、例えば Facebook や Twitter でやりとりしている人はいませんから。

「遠くの親戚より近くの他人」を今風に言い換えると
繋がっていない人より繋がっている人」ということになるんでしょうか。

ご近所付き合いが希薄になってからSNSが登場

SNSが登場するよりだいぶ以前から、ご近所付き合いは希薄になっていました。都市部では特に。「隣は何をする人ぞ」と言われた頃もありました。

隣近所の人がどんな人か、全く知らなくても生活が成り立つ時代になってから SNS が登場したので、SNSで付き合う人は基本的に離れた場所にいる人達ということになっているんでしょうね。

誰かに何か出来事があったら、まず最初に知るのは「繋がっている人」なんですね。良いことがあれば喜んでくれるし、悪いことがあれば心配してくれたりします。

ただ、少し虚しく感じるのは、SNSでゆるく繋がっている人は、気持ちは寄せてくれるけれども、実際に困っている時に助けてくれるかどうかは分からないということですね。カンパはしてくれるかもしれないけど。

特に最近のように、ポジティブ志向至上主義の、良いことや前向きなことだけ評価して賞賛するような時代では、ますます、困った時に助けてくれたり相談に乗ってくれる人は少なくなっているんじゃないでしょうか。

助けて欲しい人は、そういうコミュニティの扉を叩くしかないという感じです。

近場の人たちとの太い繋がり

上に書いたように、SNSの成り立ちは、ご近所付き合いとの直接的な関係はないので、SNSが存在した上での、ご近所のコミュニケーション、地域の助け合いなどは、存在可能なのですね。
逆に昔よりも個々の人にアクセスする手段が豊富にある以上、改めて自分の近所や地域にどんな人がいるか発見できる可能性も高いわけです。

どんな時代になっても、物理的に遠く離れていると、近くに寄るための時間やコストが掛かってしまうので、やはり近場にいる人たちとの太いつながりがあると、いろんな意味で心強くなるのではないでしょうか。

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