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カッコつけず卑屈にならずありのまま

人間は一人ひとりに個性があるので、ありのままにしているだけで十分個性的なんですよね。

カッコつけるということは、何かの理想に自分を寄せることだし、
卑屈になるということは、必要のない諦めを身にまとうこと。

そうした時点でありのままではないし、個性的ではなくなるんです。

SNSのありのまま度

僕はLINEをやっていないのでその雰囲気は分からないのですが・・

Twitter

やはりツイッターはありのまま度が高いと思います。
どんな表現も許容する懐の広さがあると、僕は思います。世界の有様がそのまま140文字に投影されていると感じます。

Instagram

インスタグラムは商業主義の権化みたいになっていますね。
カタログ的という見方もできます。
ありのままとは程遠いし、だれもその発信がありのままだとは思って見ていていないと思います。
それはそれで良いと思いますが。

Facebook

こちらはモチベーション維持装置のような感じですね。
友達になってからやりとりするので、FBが一番、自分をさらけ出せそうな感じではあるのですが、実際には最もさらけ出していない、さらけ出せない空気が漂っています。
つながっている界隈によって、そのコミュニティの性格が変わってきそうなSNSだと思うので、つながり方によっては快適にも不快にもなり、ありのまま度はそれぞれだと思われます。

YouTube

YouTubeは双方向テレビみたいなものなので、SNSという感覚がありません。ありのままとは程遠い、すべて演じられた、脚色された世界だと感じられます。

note

ツイッターとnoteはやる人の動機が似ているような気がします。
ツイッターでは文字数が足りないからnoteで思う存分書きたいという動機は僕も持っています。
ただ、ライター(小説家、WEBライター)志望(志向)の人が目立つので、ありのまま度はツイッターよりは低いと言えそうです。

自分のスタンス

僕は「ありのまま」でいたいといつも思っています。ニュートラル。
だから Facebook で投稿すると、他人からは卑屈に見える場合もあるかもしれませんし、なんとなく疎まれてるなと感じることもあります。

良いときも悪いときも「発信したい」という気持ちにさほど変化はないしそのまま発信します。noteについても「一日一投稿」などと決めたりはしません。ありのままなら、波があって当たり前だからです。(フォロワーに迷惑になるほど投稿することは無いと思いますが・・)

全体を客観的に見るとカオスというか曼荼羅というか、「統一感がない」という個性があると思っています。
インスタグラムでは作品的なものを上げることにしていますが、その中でもナチュラル感は大事にしているつもりです。

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