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マジでやるのダサい派
1980年代バブル期の若者(つまり僕ら)の自己紹介。
こんな話ができるのも、もう何年もあるものではありません。僕らの同年代が大量に定年退職する頃に、再び盛り上がりを見せるかもしれませんが。
僕らといってもあの頃の若者全体を指すものではなく、とても象徴的なものを指しています。
バブル期の若者の中心世代だった僕らは「新人類」と呼ばれ、よく分からない人々だと当時の大人に思われていました。
近しいところに「ケロヨン(ケロッとした40年代)」という世代もあります。
だいたい僕らとその少し上の人々は「マジでやるのダサい派」で、真面目に何かに取り組むこととかは「かっこ悪い」と思っていて、分かったフリしてなんでもサラッとこなすのが「かっこいい」と思っていました。
アイビーファッションが流行って、きれいめの服や、あるいは黒服のようなものを身にまとい、小脇にセカンドバッグを抱えて街に繰り出す、みたいな「ライト感覚」な人々でした。
今風の言葉でいえば「チャラい」人々だったのでしょうか。
そんなにチャラいとは思っていませんでしたが。
タモリが「オフコース・さだまさしは軟弱で暗い!」と言っていた時代でしたが、言われた僕らは軟弱だったかもしれないけど、決して暗くはありませんでした。
70年代頃から続く「やさしさ世代」の延長で、そこに明るさが加わったのが僕ら80年代ピープルだったかと。
僕らは、会社では一生懸命、仕事をして、金曜日や土曜日の夜は街に繰り出したり、レジャー派は郊外に遊びに行ったり、冬はスキーに行ったりというライフスタイルでした。
僕の高校時代の同級生は、日頃は遊んでるフリをして楽しそうにしていたけど、期末テストや模試になると高得点を取る人々が一定数いて、僕は騙されて遊んでしまい、テストで大敗したこともあります。
新人類やケロヨン周辺の僕らは、青春といえば「海」だったし、デートといえば「カフェバー」だったし、休講の日には大学そばにあるビリヤード場に入り浸っていました。
勉強とか仕事とかにさほど価値を感じていませんでした。
でも勉強や仕事はしました。
当たり前にやることだと認識していたから。
80年代にあったもの
カフェバー、プールバー、ディスコ、カラオケパブ、倉庫ライブ、レコード、カセット、海の家(今でもある)、モーテル、(あんまり言うと深みにハマるが)、スキーキャリア(今でもある)、角川映画、シティポップ、テクノポップ、芸能人〇〇大会 at 大磯ロングビーチ or 苗場スキー場、校内暴力、たけのこ、アイビー、デザイナーズブランド、黒服、テクノカット、聖子ちゃんカット、レビン・トレノ、シルビア、ソアラ、ガンマ、カタナ、ローリング族、アフターファイブ、ウォーターフロント、ディズニーランド(今でもある)、トレンディドラマ、男女7人、片岡義男、W浅野、THE MANZAI(今でもあるらしい)、ひょうきん族、シンデレラ・エクスプレス、神戸のお嬢様、アイドル(今でもいる)・・・
また思いついたら追記・・するかどうか・・
まとめ
たぶんこの辺のネタは、いまはウケないけど5年ほど先になったらウケるかもしれないと思っているから、それまで温めておきたいと思います。