侍になっても良いことは無いと賢者は考えるだろう
朝からつらつらと雑感を書き綴ります。
人間は争いが好き
人間はもともと争いが好きな動物で、猛獣と同様に肉食です。
日本人も例外なくそうです。
争いを止めようと考えた人
聖徳太子
太古の昔には、聖徳太子という賢者が登場して「和をもって尊しとなす」と言いました。
当時は、そんなこと言う人はクレイジーだったかもしれません。だから聖徳太子の理想社会は長くは続かなかったのだと。
徳川家康
戦国時代をつぶさに見てきた徳川家康は、争う時代に終止符が打てるのは自分しかいないと思っていたかもしれません。
そして、国じゅうの多くの人が、こんな悲惨な時代は抜け出したいと思っていたと思います。
家康が打ち出す方針が、多くの人の気持ちを汲んだからこそ、国は一つにまとまったのだろうと思います。
争うこと自身には何もメリットはない
戦わずして勝てるなら、誰も戦わないでしょう。
争うことで消耗するもの、破壊されるものの大きさを知っているから。
今のようにグローバルに情報が行き渡る世の中では、メリットのあることと無いことは誰が見ても分かることで、明白です。
でも、人間は頭に血が上ると、冷静な判断ができなくなるのです。
争いに突入すると、そのことに一生懸命になり、なぜ争うことになったのかという目的すらも忘れてしますのですね。
外に向かって何も仕事をしない沸いているだけのお湯
政争
平和な世の中にあって、身近にある闘争といえば、政争です。
自らの理想を掲げて主張するだけなら何も害はもたらさないし、外から見ても一定の評価を得られるでしょう。
しかし、違う政党のことを有ること無いこと、批判して争うのが好きな政党もあるし、批判して争うことが好きな支持者もいます。
代表者が意図していないことまで、支持者が勝手に言い出して、場を仕切って、ややこしいことになることもあるでしょう。
そのことで、仕事も手につかなくなったり、家族が嫌な思いをしたり、周りの人が迷惑を感じたりすることもあります。
そんなことに、一体どんな幸せがあると言うのでしょうね。
そういう状態というのは、外に対して何も仕事をしていないのです。
内輪揉めや、論戦だけにエネルギーを消耗しているような、いわば「沸いているだけのお湯」なのです。
早くそういう状態から抜け出して、外に向かう行動をとった方が、よほど世の中のためになるのですね。
企業戦士もSAMURAI
かつては「企業戦士」という言葉もありました。
戦士はかっこいいし、憧れる面もあるけど、大義名分から逃れることはできないのです。
個々の、自らの本音を隠して戦わなければならない。
その結果、負けて、責任をとって死ななければならなくなることもあるのです。自分の本音とは違う理由のために、殺されるか、死ななければならないなんて、馬鹿げているけど、戦士にはそれが当たり前なのです。
だから賢者は、戦士にはなりたくないと思うのが自然だろうと思います。
大義名分より実利を追いたいと考えるのは自然な欲求です。
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