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口だけだと揶揄されようとも理論は提唱し仮説は唱えるべき

かのアインシュタインが提唱したことは「理論」であって、提唱された時には誰も実証できないものだったんですよね。後の世になって実証された理論もあります。
それでもアインシュタインは「天才」や「偉人」と評価されていました。

もちろん、アインシュタインの日々の小さな活動がデタラメだったら、誰も彼を評価しないし、大きな功績も無かったと思います。

誠実な姿勢で、真理を追求し、自分なりの答えが出たのなら、それを発表することに何ら、悪いところはありません。

研究者の扱いの低さについて

昔からそうですが、大学などの研究者は海外に比べると評価が低い傾向にあると思います。
研究、特に基礎研究というのはすぐに成果が出るものではないし、失敗することの方が多いから、そういうものに依存することは時間とお金のムダだというような、即物的な考えが根底にあるのだと思います。

企業の研究者は尚更、成果を求められるし、すぐに利益を生み出すような「開発」という言葉を企業は好んで使うため、開発重視であったり、研究と言わずに「研究開発」と言ったりするのです。

アインシュタインが現役時代にどのような扱いを受けていたかは知らないのですが、理論だけで評価されることは、開発の世界ではあり得ないことですね。

理論や仮説は、思いついた人しか話せない

理論や仮説は、物事が起きる前、事実が確認される前に、個人の中の様々なバックグラウンドから浮かび上がってきた光のようなもので、大宇宙に散らばった星屑やガスから最初の星が生まれるようなものなのですね。

それだけで立派な功績なのです。
あと、それを何かに利用したければ、利用したい人が考えて何かを生み出せばいいのですね。正当な利用に対して、自分が提唱した理論を「使うな!」と拒否する研究者なんていないでしょうし。

ブレイクスルー

「世の中に閉塞感が・・・」って、もう何十年言ってるんでしょうね。
いい加減、打破しましょうよ。

「こんなこと言ったって、どうせ自分には出来ないし」
「そんなこと言ってるけど、お前それ出来ないじゃん」
なんて言ってる限り、永遠に閉塞感の中で過ごすことになると思います。

誰でも、何でも言っていいよ。納得する人だけ納得して使えばいいじゃん。
使った人がラッキーすればいいじゃん。アイデアくれた人に感謝すればいいじゃん。

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