アニ研でセル画を描いて過ごした1年間
高校に入って最初に入ったのは「漫画・アニメ研究部」、略してマン研アニ研です。名前も部室もくっついていますが、活動は基本分かれていました。私はアニメ研究の方メインで活動しました。
私の高校時代はまだまだ「オタク」の市民権はほぼなく?、人に知られたくない趣味でした。漫画は小学時代から、りぼん、ちゃお、なかよしを毎月買い、マーガレットや少コミ、フレンドなどは立ち読みしてたくらい好きでした。アニメは中3ではまりましたが、周りには知られないようにしていました。
アニメは私の周りだと「キャプテン翼」ファンの腐女子が変な感じで騒いでいたりと、いいイメージがなかったのです。なので中学時代は、アニメ好きの友達からこっそりアニメディアとか借りていました。
意外だったのは中学のバレー部のモテてた友達が、「サムライトルーパー」ファンのアニメ好きだったことですね。本を貸してくれる子とその子とのみアニメ話をしていました。
しかし初めてなりたいと思った職業は地味に漫画家の私。高校で思い切ってそういう思いを解き放とう?と入部しました。
文化系なので活動は各自好きにやっていたと思います。アニ研で私は初めてセル画を描くことを体験しました。特によく描いていたのは、ナディアとあかねです。どちらも髪紫ですね笑。アニメ雑誌を下書きにして線をトレースして、後は色乗せします。
マン研の方からイラストを提出する様にいわれたので、提出しました。漫画はですね、漫画家になりたいと思ったものの、話が思いつかずに少しやってみてすぐに断念したのでした笑。学祭ではセル画を発表したのか、売ったのか忘れましたが。
当時コバルト文庫の「星子さんシリーズ」という女子高生が日本中旅するという小説が人気でした。部では同じように星子ファンがいて、話が盛り上がりました。
じゃあどうして1年で辞めたのか。やはり?なんとなくマイナーな文化系っていうのが、どうにも後ろめたくて。
いや、今風にいうと。当時はまだ陽キャラ、陰キャラの概念はありません。でも明らかに「マン研アニ研部員」は陰キャ扱いな雰囲気がただよっていたのです。思い込みかもしれないのですが笑。
なので1年の活動でセル画を描く体験もできたし、やはり学生時代は健全に?運動しようと思い、1年の終わりに退部して、春からは山岳部と正反対のイメージの部に入りました。
高校時代は私は燃え尽き症候群じゃないですが、全般的にやる気がなくなり、部活も勉強も軽くゆるくしかやっていないので、中学ほど熱いパトスはありません笑。
でもこうして振り返ると何事も経験だと感じます。文化系と体育会系、どっちにも入っていたっていうのも、おつなものだったのではないでしょうか。
らんま1/2があんなに話が長く続いたのに、終わり方がいつもの?俺たちの戦いはこれからだだったのが残念だと、あかねが好きでよくセル画描きしていた者の感想でしめます笑。