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ビフォーコロナの最後のボーナス

1.ビフォーコロナの最後のボーナス

 8月5日の経団連の発表によれば、今年の大手企業の夏の賞与は2年連続のマイナス、昨年比で2.17%減の90万1147円だったそうです。

 新型コロナウィルス感染症の影響下にあることを考えるとかなり高い水準に思えます。意外に多くてほっとした、という感触が大手企業の社員の間では多かったのではないでしょうか。

 実際には感染拡大前の業績を前提とした妥結だったそうで、コロナの影響は冬の賞与支給時にでるだろう、と言われています。

 中小零細企業や、コロナ禍で休業や自粛の影響をより直接的に受けた業界では、すでにこの夏から大手企業とはまったく違った厳しい様相を呈しているのは言うまでもありあせん。

 全体として賞与においては2020年夏までがビフォー、冬からがアフターあるいはウィズ・コロナの展開になってゆく、ということのようです。

2.賞与をめぐる交渉

 賞与に対する考え方は、労働者側と会社側でかなり異なります。わたくしは両方の立場を経験したのでよくわかります。

 まず労働者側から見れば、賞与月には返済額の増える住宅や自動車のローンの支払いもあり、支給されて当たり前、そうでなくても毎月の赤字を補填する生活給である、といったところでしょう。さすがに賞与月単月に家計収支が大幅に赤字になる人はそうは多くないでしょうから、年2回ほっと一息のタイミングです。

 意識する金額といえば自分の支給額の過去との比較か、せいぜいあの人はいくらもらった、という程度の、個人単位の認識レベルではないでしょうか。

 一方で会社側から見る賞与に関する風景はかなり違います。予算化していたとはいえ、多額の現金が一気に出ていく瞬間です。部門や個人の業績との連動も公平に行った上で、全社員のモティベーションも保つ、支払い後のキャッシュフローにも配慮しておく、という課題があります。すくなくとも経営者時代の賞与月にほっとした記憶はありません。

 労働組合のある会社なら、まずは要求のための団体交渉がスタートです。組合員を代表して組合長あるいはそれに準じる立場の組合幹部より、マクロ環境から業界をとりまく環境の分析、そして自社の現況、上部団体からの方針等が要求書と口頭で説明されます。

 説明が終わると支給月数(基本給x〇か月分)の要求です。社長をはじめ会社側はその場で要求に回答する義務はなく、組合側の要求を聞くだけで終わります。要求項目は他にもありますが、なんといっても支給月数が団交のポイントです。

 会社側の回答は日をあらためて回答団交の場で行います。組合の要求通りの回答を満額回答、そうでない回答を有額回答といいます。要求を下回る有額回答の場合、会社側は十分な説明を尽くした上で回答しますが、団交は中断します。再開してもその日の団交で妥結することはまずありません。組合幹部も各支部に持ち帰って対応を考えなければならないからです。

 こういう場合は日をおかず再度団体交渉が行われます。労働組合としては再交渉で積み増しを勝ち取れるか、金額以外でなんらかの譲歩を引き出すか、ゼロ回答(最初の回答通り)で終わるか、いわゆる支給日のリミットもあり、短期間で妥協点をみつけなければなりません。

 考え方も年齢も異なる多くの組合員を代表している組合幹部は、時に会社側と組合員の板挟み状態になることもあります。組合員の中には、たとえ業績が赤字でも生活給なのだから支給させろ、という声もあります。

 要求と回答で対峙することはあっても、会社側は組合幹部のそのあたりの難しさをよく理解しています。会社側が十分な説明を尽くすのも組合幹部が組合員に対し十分な説明をすることが必要だからでもあります。

3.あの経営者の葛藤

 好業績で満額回答できるならともかく、業績下振れ時の有額回答は会社側にも大きな葛藤があります。足元の業績改善には追加の対策が必要で、そのためには組合員のモチベーションが大事だとわかっているのに、それが下がってしまうという葛藤。

 また業績下振れとはいっても、結果を出している部門や個人は必ずあって、本来手厚く処遇すべきなのに、有額回答では十分に報いることもできない葛藤。有額回答なのにキャッシュアウトはあって、手元現金は確実に減少するというのに組合員の多くの理解が得られそうにない、という葛藤。

 春闘では常に注目されるトヨタ自動車の労使交渉。2019年の春の交渉の場で豊田社長が「今回ほど(労使の)距離を感じたことはない」と発言して話題になりました。同社の労使交渉は秋にまで持ち越されたそうですが、それほどの葛藤が豊田社長の心中にあったのではないでしょうか。

 コロナ禍以前にすでに豊田社長が見据えていた自動車業界の未来においては、トヨタ自動車さえも既存の業容や雇用のあり方の延長線上にこれまでのような繁栄を描くことができなかった、と想像されます。

 切なる思いが労働組合や組合員に伝わらない葛藤。それが「距離」という言葉になってあらわれたのでしょう。そんな思いが伝わったからなのか、この8月6日に発表されたトヨタ自動車の4~6月決算は、国内・外の同業他社すべてが大赤字で総崩れの中、唯一の黒字確保で面目躍如の内容でした。

4.反省を込めて

 十年一日のように出社して、与えられた仕事をそつなくこなせば給与に加えて年2回の賞与が定年まで続く。そのスパンの中で結婚や出産や教育やマイホーム取得や定年を考える…もうすでに支えきれなくなっているこのような制度が、コロナ禍を経てさらに崩壊が加速すると思われます。

 来し方を振り返って、反省もこめて今、思うのです。組合員の将来を本当に心配するなら、自分が必要と考える生活給を支給できない会社に依存してはならない、と言うべきだったと。都度の団体交渉を切りぬけるたびの葛藤ではなく、もっと本質的な葛藤に向かい合い、それを組合員と共有すべきだったと。

 なぜなら大多数はそうではないけいれど、組合員や管理職の人の中には「与えられた仕事にこのまましがみついて、多少収入は削られても縮こまっていれば最低限の賃金は保証される」と考える人が少なからずいたからです。 

 こういう考え方を定年間際ならまだしも、まだそうでない年齢で持つ人に対して、本当に厳しい、余生というには長すぎる今後になると、その時に言ってあげるべきだったと。

 誤解を恐れずに言えば、そういう物言わぬ勢力がいたからこそ有額回答でも最後は妥結できたのではないか。結果的にですが、そういう勢力に会社側回答が甘えていたのではないだろうか。とすら思うことがあります。

5.これからの人へ、そして自分へ

 経営者でも従業員でもなくなった今、わたくしも自分という一個人の事業主です。会社はやめても自分の事業主をやめることはできません(知力体力の限界が来てしまったら別ですが)。

 これからの人は組織の中にあっても、開業するしないは別として、個人事業主的な意識を持つべきかも知れません。すくなくとも一生縁が切れない税や社会保険に関する知識は相当深まります。実際にそういう働き方を励行する企業も出てきたというコラムを先日新聞で読みました。

 わたくしはつい先日、ざっくりではありますが、1か月後、半年後、1年後、5年後、10年後、そして80歳になったとき、最後は8X歳で家族を残してこの世を去る日にこういう心持ちでいよう、で終わるマイルストーンを立ててみました。中期ならぬ、たった一人の長期経営計画(?)です。

 その計画の中で年2回、〇ヵ月分の賞与を自分に出すか、あるいはかつて会社人生のほんのひと時そんなありがたい制度があった、と思い出すにとどめるか。どちらを要求し、どう回答するかはまだ決めかねています。