日光 Pure Japanese をめぐる旅
文学サークル「お茶代」4月のジッケン課題「Pure Japanese 」を見た感想です。
どこまでが計算して作ったのだろうか。日光という場所は見事にこの映画のキッチュさを際立てるナイスなロケーションである。後半のバイクアクション、無意味な爆破、江戸時代のセットでの殺陣は昭和日本のアクションの様式美として素直に楽しんだ。
こんなもんで測れないとわかっていながら日本人としての純度を測りたいという閉鎖性が良く伝わる。本編中盤で検査キット、ぴゅあジャパニーズは否定され、ニュースのコメンテーターが、日本人は強いて言えば日本語OSを使用する人であると説明する。実際人体というハードウェアで純度を測ろうとしてもせいぜいルーツなんて中国朝鮮の渡来系か、アルタイ系か、オーストロネシア系か、〜人類学で考えられているような答えが返って来るだけだろう。しかし日本語を話しているだけで日本人は満足できるだろうか?
そこでこの映画で投げかけられたもう一つの問題、土地という一段階大きなハードウェアに着目して2度目を見た。
ヒロイン、アユミ(蒔田彩珠)の祖父(渡辺哲)が守る土地は県議とヤクザが結託し、周辺一帯もろとも中国人ブローカーに売り払い、温泉型リゾートが誘致されようとしている。どちらかと言えば多くの視聴者はこの先祖代々の土地を守るおじいちゃんに感情移入しやすいのではないか。しかし先祖代々とはいえその所有が古事記に書かれた豪族でも、室町時代や江戸時代の土地とも見た感じ思えない。先祖というのも仏壇で拝まれる位牌であり、魂魄の魄(骨)を地上で管理する儒教的なアプリケーションである。ただ単なる占地では純度が上がりそうにない。では県に売って温泉施設で地方再生をしてみてはどうか?これも結果は目に見えている。土地に資本制的アプリを呼び込めば、都市計画技術を優先しながら田園的、温泉街という後退モデルを理想化し当てはめた、政治性を煙に巻いた小綺麗なリゾートができあがる。作中三島由紀夫を引用した空っぽなニュートラルな、である。
それではもう一つの舞台、日光江戸村に移ろう。園内は江戸時代の街並みを再現しており大忍者劇場などのアトラクションが置かれている。この忍者ショーで立石(ディーンフジオカ)は音響を担当しており、作中後半では殺戮舞台となる。いまいち風采の上がらない主人公が、実は只者ではなくて…そして最後の殺陣に繋がるという展開は一種のお約束をダークに踏襲している。ディーン自身もインタビューで「日本のレガシーであるアクション・スタントの様式美が力を発揮できる機会が増えてほしい」と語る。また、「ケーススタディとして、文化の側面としての暴力を捉え、その文化の特性・性質があぶり出される」とも語る。日本の一種の型として暴力を描いたというわけだ。
おそらく日本人はこの過度に様式化された超絶技巧が好きなのである。クールジャパンやガラパゴス化のような名人芸である。しかし日本語話者の自分には立石の切腹ごっこや素振りといった行動、おじいちゃんの三島論、江戸村がキッチュに見えるのだ。この違和感はなんだろう?
ここで日光というさらにもう一段広い都市に着目しよう。日光といえば劇中には登場しないが強力な印象がある。日光東照宮である。建築や工学を学んだ人間はこの建築物を鼻を摘んで通り過ぎたい衝動に駆られる。実用を逸脱した工芸品と見えるからだ。この感覚はずいぶんと前、1933年モダニズムの普及を目指した日本インターナショナル建築会がブルーノタウトを招待したことに遡る。タウトは桂離宮、伊勢神宮の機能的合理的美しさを発見する。こうして明治以来の天皇崇拝の時勢に天皇由来のデザインとモダニズムが悪魔的握手を交わした一方で日光東照宮は近代化において唾棄すべき将軍的-偽物-キッチュとして位置付けられた。実はこういうコンテクストが日光には隠れている。日本全土若しくは先進国を覆う無装飾な近代建築に見慣れた人間には日光の超絶技巧は心をうつが、それは非合理的な珍奇さによるものである。
作中に流れる日本文化の剥製を見ているような違和感を増強するのに日光の土地は一役買っている。これが京都太秦や金沢美観地区では成立しなかっただろう。ディーンは奇しくもピッタリな場をロケート(探し当てる)したのである。日光江戸村を見れば殺陣を思い浮かべる。ほんの150年前まで刀という暴力を身につけていた日本語人。それを模倣する忍者ショーの劇団員、立石、ヤクザ。そして武士の神が眠る日光。場locusは特定の敷地とその場所に立地する構築物との間に見られる。この映画もまた、暴力の場に出来事を繰り返したと言える。OSは同じでも作中の日本語人の見え方が違うのは先祖崇拝や資本主義というアプリの違いである。監督と視聴者のメタい視点では日光江戸村の暴力的な場所性を読み取れ、立石、アユミ、県議、ヤクザは殺陣舞台としての場にからめ取られる。Pure Japanese、深読みしようとすればなんぼでも読めてしまう怪作でした。
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