ずれている身体の位置の認知
「研究者とは、世界をマニアックに探求するExplayerである」と考え、いろいろとマニアックな話を聞いてまわり、Explayするタネを見つけよう!というインタビューシリーズ。
今回のマニア(研究者)
奥村 基生 先生
東京学芸大学 芸術・スポーツ科学系 健康・スポーツ科学講座 体育学分野 准教授
【熟練の過程?】
体育・スポーツ心理学がご専門の奥村基生先生にお話を伺った。
先生のご専門は、熟練の過程の解明。
人の目が追うことのできる角度は1秒間に50度~100度。熟練したバッターはボールを追うのではなく、先を予測して視線を先にそこにもっていっているのに対して、熟練していないバッターはボールを追おうとして、ボールを見失うことになる。
対人競技において、熟練した競技者は視界をある程度は固定して、その状況を記憶し、そこで記憶した動きや違う動きが出たときに反応するのに対して、熟練していない競技者は相手の動きをすべて追おうとして、右側が動いた瞬間に右に視界を移し、左側が死角になる。
サッカーで熟練したディフェンダーは相手の体の動き(重心)を見ているので、ドリブルが止められるが、熟練していないディフェンダーはボールを追うため、次の動きが予測できず、あっさり抜かれる。
スポーツをしている人なら、一つ一つ、「へぇーボタン」を押す(古い!)話の連続。不肖、私も40年近くテニスをしているが、自分がどこに打つかばかりを考えていて、相手がどこに打ってくるかまで気が回らない。40年もやっているのに、典型的な非熟練者。
【活用力】
熟練者と非熟練者の違いは、人間の体の動き、使い方が理解できているか、そして、それを活用する方法を理解しているか?ということにあるということ。
多くの場合、「こうすればできる」といって見本を見せられて指導を受けるが、「このスキルをこのように活用するとできるようになるよ」とは指導されない。
そこに奥村先生は着目しているように思う。
【できないからやらない・・・】
運動やスポーツは基本的には「できない」からこそ面白い遊びだと個人的には思う。
スポーツが好きな人は「できない」からこそ、「できる」ようになりたいとスポーツに取り組む。
イチローさんだって、10割打てたら、たぶん、野球を続けない。打てないときがあるからこそ、できないことがあるからこそ、野球を続けるのだと思う。
他方、スポーツが好きになれない人は、「できない」から「やらない」ということになる。
どうして、「できないからこそ面白い」人と「できないからやめてしまう」人とにわかれるのか。「できそうだ」という予感があるかどうかが一つの原因として考えられるのではないか。「できそうもない」と感じたら、やはり、ほとんどの人は「やらない」という選択肢を選んでしまうのではないだろうか。
【熟練の過程を研究することで示される「できそうだ」という予感】
この「できそうだ」という予感を感じてもらうために、熟練の過程の解明は大変重要だ。
例えば、何か重いものを持ち上げる機構を考えようとしたときに、「ギア」を使うとパワーがあがることを知っていれば、できそうな予感を感じて、どう「ギア」を活用しようか考え始められるが、「ギア」の機能を知らなければ、「できない」とあきらめてしまう。(もちろん、遠い昔、「ギア」の機能を発見した人がいて、その人はあきらめなかったわけだが、多くの我々は、そんなに忍耐力もなければ、能力もない)
スポーツにおいて、体の機能の基本的な活用方法を理解することではじめて、この機能を活用すればできそうだと、「できなそう」が「できそう」に変えられるのではないだろうか。
【できるだけたくさんの人が運動、スポーツを愉しめるように】
成人の週1回以上のスポーツ実施率を42.5%から65%にあげようという目標がスポーツ庁により掲げられている。
その実現のためにも、「できなそう」を「できそう」に変えられる指導者の育成がとても大切なのではないだろうか。
他方、現在、東京学芸大学では地元に愛される学生の大学スポーツ活動を目指していこうという動きがある。もちろん、地元の人が、学生スポーツを観戦し、応援してくれるのは大変うれしいことだ。地域の方に応援していただくためには、学生と地域の方がスポーツを一緒にする、一緒に学ぶという機会が大切になってくる。指導者育成の面でも大学が地域の指導者育成のセンター機能を持てるようになると、より愛される大学スポーツを実現することができるのではないだろうか。
大学で「できなそう」を「できそう」に変えられる地域の指導者を育成していく。そんなことができたらと思う。
【身体の位置の認知】
研究室から道場、演習室をご案内いただいた。研究の現場にはいつもワクワクさせられる。
剣道場にはカメラとモニターが4台。ディレイ再生をしていて、練習者は自分の練習が終わった瞬間にモニターを見れば、直前の動きが確認できるようになっている。もちろん、自分の動画を見ただけではうまくならないが、ポイントを教えてあげれば、ずっと指導者が見ていなくても、自分で自分を指導できる。
さらに、演習室では、複数の赤外線センサーを使っての竹刀や体の動きの研究をしているとのこと。そこで面白いお話を伺った。
目をつむり、両手を動かす。見えていないのにも関わらず、両手の位置がなんとなくわかる。
でも実際は、私達が身体を通して経験した記憶を地図にし、なんとなくそこにある像をイメージしているにすぎないのではないか。とすると、実際の体の部分の位置と自分で認知している体の位置とは実は一致していない。スポーツにおける指導者の言っている通りにしているつもりなのに、できていないということの原因はこの認知のずれにあるのではないか。
先生はこれを「身体図式」というように表現された。(「身体地図」という表現もできるようにも思うが、奥村先生としては、やや受動的なイメージがあり、より能動的で動きのある「図式」のほうがいいのではないかと考えられている。どのワードが適切かはこれからの研究課程で明確にしていきたい)
VRの活用などによってこの、身体の位置の認知のズレを補正でき、自分の体が正確にどこにあるのか認知できるようになると、「できそう」という予感は格段にあがるのではないか。そんな成果というより、純粋にこのズレは面白い!今すぐ、取り掛かる準備に入ろうと思う。
【やりたいこと】
・大学が地域の指導者育成も含めたスポーツ活動のセンター機能を担えるシステムの構築
・VRの活用による「身体地図」の自己認知の向上
・剣道の防具にフェンシングのようなセンサーを付ける。
※唐突な話ではあるが、学校教育において剣道を行う際、熟練した審判がいないため、公平なジャッジが行われず、子どもたちの面白さが低減したり活動が正当に評価されない、先生たちも困るということが起きているため、このようなご提案をいただいた。
ジンズ―
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