第3回遊具をExplayする~すべり台を超えるラボ
今回のレポートは参加者の一人、というか、アイデアの発信源になっている豊田かけるさんにレポートを書いてもらいました!ありがとうございます!
大の大人が…
遊具にのみ思考を凝らす時間を持つ人達はそんなに多くはいないでしょう。ましてや大の大人が仕事終わりに夜な夜な集まって、ひたすらに遊具について考える。一体何が起きてそんな時間と空間が出来るのか。ですが、そんな摩訶不思議な時間は大変面白く、まさに思考の遊びそのものです。
滑り台を超える…
3回目を迎える今回、滑り台を超える遊具を考えるということで、アイデアを凝らしました。ところが、考えれば考えるほど滑り台がいかにすごい遊具であるかを痛感する事になりました。
滑り台はシンプルな作りで、かつ耐久性があり、遊び方としては高所に登って滑って降りるだけという至って単純な遊具だと思うんですが、滑り台自体の汎用性は大変高いのです。汎用性が高いが故に、どうしても滑り台に勝てないのです。例で言うと、高さのある遊具を作ろうとすれば、最終的に滑り台を併設すれば面白くなるかも、というアイデアで毎度帰結してしまうといった次第です。
原っぱと遊園地 遊具づくりの矛盾
面白い遊具と聞いて、何を思い浮かべるかと問われると真っ先に盛大なアスレチックなど、まるで遊園地のような世界を思い浮かべました。
確かにそれらは面白いのです。何故なら面白く遊ぶ事が意図的に組み込まれているからです。しかし人間皆、子どもも大人も問わず、誰かの管理下で動く事よりも自分で考えて自分の頭で自分の体を動かす事の方が面白さを感じると思います。それは何故かと言うとやっぱり自由を感じさせてくれるからだと思います。
歴史を振り返ると、人間はいつでも自由を追い求めています。世界中で起きている戦争も改革も、自由を追い求めている心の体現のようにも思えます。
遊びは子どもも大人も、自由になれます。自由でないといけないのです。
話は少し変わりますが、冒険遊び場というのが日本へ渡ってきて久しく、今、プレイパークとして様々な地域で活動が展開されています。冒険遊び場は元々、デンマークの造園家であるソーレンセンという方が、大人が組み立て遊び方などが設計された遊び場よりも、廃材などの多い整地されていない場所で遊ぶ子ども達の方が楽しそうに遊んでいるように見えたことが、プレイパークの源流が始まるきっかけになっているそうです。
これはまさに、遊園地などではなく、草木や水砂などの自然や遊びの資源にあふれた場所の方が、子ども達自身で遊びが展開されて、本当の意味で自由に遊べる空間を保障できる、ということかもしれません。
そう考えていくと遊具作りは矛盾を生じさせます。遊び方を固定させず、子どもが自由に遊べる空間をつくるにあたって、あまりにも大人の意図が見えすぎているものは子どもにとってはそんなに面白くはないでしょう。とはいえ、ぶらんこや滑り台のように、子ども自身の力だけでは経験できない“滑り落ちる”事や“重力にあらがう”事の保障も大人の工夫によってなされるべきだとも思います。如何に、遊び方を固定させない、汎用性のあるデザインができるか、しかしそれだけでなく、子ども達が、さらなる面白さや不思議な体験が出来る遊具を創れるかというのが課題になります。
ですので、遊具をつくるときに、大人による知見や感覚も大事ですが、それよりも子どもの側にしっかりと立ち、子どもの視点から考える事ができるかどうかによってその遊具の良さが左右されるといっても過言ではないと思います。
子どもが遊ぶ余白
公園は少しずつ、子どもの遊び場でなくなってきている気がします。社会は教育改革真っ只中。これから少子高齢化を迎えるにあたり子ども一人一人に早く成長して優秀な人材になってほしいと言わんばかりの重圧があるのではないかとも感じるような施策やカリキュラム、ひいてはそういった教室や塾などが私営でどんどん出来ています。
インターネットが発達し、ゲームやアプリで遊ぶ子どもの姿をよく目にします。まさに、遊ばされている状態とも言えるでしょう。子どもは遊んでいるつもりでも、全て計算されて、大人が設計しているものですから、そこに創造や偶発的な感動体験を強く感じることもないでしょう。子どもの余白はどこにいったのか、考える時が多くあります。
町の公園ではボール遊び禁止などの看板は増え、ソーレンセンが見たような、子どもが廃材のある倉庫や空き地で遊んでいる姿も、少しずつ少なくなっているのではないでしょうか。
これは時代の変遷で、必要な変化なのかもしれないし、大人側が生んでしまった社会問題なのかもわかりませんが、子どもが自らの頭と五感と体をフルに使って遊ぶ時間や空間を保障していく事はこれから私達大人に求められてくる責任なのかもしれません。
感動や面白さ、自由を求めて生きていく大人の様
「遊具をExplayする」の時間では皆、子どもの時のような目や表情で何が楽しいかを考えては共有しています。その空間にいて思うのはやはり、遊びは子どもだけでのものではないという事です。
遊びは常に想定外の事が起きますし、思い通りにはいきません。時には友達とぶつかり、感動を共有したり、まさしく“冒険”感にあふれています。きっとその遊びの当事者にしか見えない世界が在るんだと思います。それは子どもも大人も関係なく、内面に持っているものでしょう。
だからこそ、そんな世界観をさらに深め、遊びそのものをさらに面白くしてくれうる存在となる遊具を創造したいと、切に感じます。どれだけテクノロジーが発達して便利な社会になろうが、常にそういった人間の“遊び”の面白さはアナログに回帰する事でしょう。
感動や面白さ、自由を求めて生きていく大人の様をどれだけ子どもに見せる事が出来るのか、今後の社会の課題ともいっていいのかもしれません。
【プロフィール】
豊田かける
1997年生まれ。福岡出身。
大学では保育学を中心に学び、卒業後都内で保育士をしながら、教育系のイベントを運営するなど活動中。保育施設や教育機関を支援する仕事をするのが今の目標。
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