浅学な問題提起でペラい意見を述べて生きているふりをするな2nd


結局どこで何をするにもマメじゃないといけないんだと思考する

寂しいとか認めてほしいとか、見てほしいとか誰かの何かになりたいとか。

何かを他人に求めないと永遠に孤独でいられてしまう。


他人に求めるな自己完結しろ、ついでに言えば自己責任だと人は言うくせに、寂しがりやでマメな人達と一緒に過ごしているじゃないか。矛盾してるよ現代人。


勇気を出してとある所に電話をかけてみたらずっと話し中で、あーもう駄目どうしようもないと思った。

でも次もう一度かけてみたら繋がった。

前置くと、真剣に話を聞いて具体的な指示をくれるというような《明確な役立ち》ではなく、ただなんとなく他人と僅か数分の声のやり取りができた。というだけだ。


それでも私と電話が繋がった相手は生きていて、その生きている人と話したのだから私はまだ生きているのだった。

自分が存在する事が分かって涙が出てきた。



もう頑張れないですと誰かに言いたい、言ってみたい、言ったことがない、言える状況だったことがない。


誰も私の存在を知らない、非現実のここにしか私は居られない。

誰も知らないわからないところで、そっと紛れていることしか私には出来ない。


人間にとってどうにも耐えられない事は、自身の能力の低さや広義の不出来さではない。

誰にも求められず、自身の存在に確証が持てないことだ。


※削除アンド訂正アンド再掲でオシマイ!

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