ノノノエ シロ

哲学断章、あるいは根暗で卑屈な散文。 二、三日に一度ほど投稿しています みんながラブリーに生きられますよう。

ノノノエ シロ

哲学断章、あるいは根暗で卑屈な散文。 二、三日に一度ほど投稿しています みんながラブリーに生きられますよう。

最近の記事

お菓子を食べて、これ美味しい幸せだねって言う程度の平和でいい。

世界中が安価で廉価な平和に包まれますよう。 お手軽に得られる幸福も、大枚はたいた幸福も幸福であることに変わりはない。 チェーン店で得られる旨味も、とっておきの料亭で得られる旨味もいっときの旨さに変わりはない。 一度も得たことのない者が高楊枝で言うならチープな見栄はりにすぎない。 幸せとは幸せを求めるもの全てに平等に与えられているのだ。 私達は知ればいいのだ。

    • 不出来な人間でいいからぬるま湯の中でずっと揺れていたい

      ハイレベル、最高、一流、トップクラス そういう種族になれなくていい。 熱くもなく冷たくもない、ぬるいぬるい水の中で、浮かぶことなく沈むことなく中途半端に漂っていたい。 誰の目にも止まらず、決して目立たず 特別に贔屓されることなく、特別に嫌われることもなく。 沢山の愛やお金を貰うことなく、僅かな幸福で目尻を下げて くだらなくも楽しい数十年をずっとずっと、最初から最後まで余生のようにずっと流れて漂っていたい。 生きるときも、眠るときも、死ぬその時でさえもいつも目覚めの瞬

      • スキゾイド気質は平和主義者のそれであると宣いたい

        わたしはそう思うのだ。 スキゾイド的な生き物である私は、他者に期待もしないし他者からの賞賛を求めない。 他人のどんな過去を聞いても「ひく」事がないし、どんな自慢を聞いても「はーすごいですね」としか感じない。 自分と他人を比べることは愚かで、自分の物差しで他人を測ってやれはみ出している、こいつは社会不適合者だと決めつけることも同様だ。 他人に承認されない事はとても楽である。あまり理解されないが、私は透明な存在でいたい。 過去に本を書いたり電子書籍を出したりしたが、すべての名

        • なんでも気軽に言ってくれるな

          言葉を軽くして気軽に言ってくれるな。なんでもかんでもキャッチーな耳障りでポップにするんじゃない。 本当に、とても腹立たしく不快で、理解できません。 マジでチョームカつくありえなーい もののいいかえは便利だけど時と場合による。 しっかり伝えたり残したりしなきゃいけないことは、ポップにしないほうがいいと思う。私は、私個人としては。 被虐待児だった私は、虐待サバイバーという呼称が嫌いである。 なんだよサバイバーって。別に生きたくないですが。そもそもボーン(生)してからこの

          何もかもが嘘のような気がしている。

          振り返ると自分の後ろに過去の時間が積み重なっている。 何もかもが信じられないことばかりで、小説よりも奇なる事事の繰り返しの中を生きてきたことが全く信じられない。自分の人生の実感がない。 そんなこともあんなことも、何か薄い被膜を通して見ているような、ぼやけた他人事のように感じている。 いま自分がここにいることも、もう側にいない誰かのことも、全て実際にあったことなのに体感としてひどく遠い。 昔から承認欲求というものがない。 他人にとっての特別な誰かになることが私には重く、面倒

          何もかもが嘘のような気がしている。

          良い人を演じる、その時点で既に良い人なのである。

          書き割りの微笑みでも笑顔に変わりはありません。 良い人を演じて疲れた…という意見がネットでしばしば散見される。 良い人を演じて疲れ切った道化は、幕間に戻って共感と同調と協調でもって仲間たちに歓迎されるのだ。 大丈夫です、私もあなたも無害で優しい誰かです。 悲劇を楽しむ人がいる、蜜の味、またはシャーデンフロイデ、あるいはローマンホリデー。 そろそろ進化しませんか人類。 新次元だの上昇志向だのにゅうじぇねれいしょんだの名前はどうでもいいんです、変容を受け入れること、良くも悪

          良い人を演じる、その時点で既に良い人なのである。

          もし何かができなくても、自分の不甲斐なさに落ち込む必要はない

          苦手とか出来ないとか。 「出来ない」という表現にはネガティブなイメージがあるけれど、出来ないことが予め分かると楽だと私は解する。 Aが出来ないならBをやればいい 他のことなら出来るかもしれない ピンクが似合わなくても黒は似合うかもしれない。ここが合わなくても違うところなら合うかもしれない。 不出来さに落ち込むより、出来るように努力して見つけた「やっぱりこれは苦手だ」という気持ちを受け止めようじゃないか。 出来ないことが見つかってよかったねと言いたい、みんなに言いたい。

          もし何かができなくても、自分の不甲斐なさに落ち込む必要はない

          このリアルワールドはまったくリアルじゃないですね。

          嘘っぽい感動劇、作り物の正義感、安っぽい哀愁と怒りっぽい民衆。自分のための正義感を振りかざして酩酊する市民。 どこもかしこも饐えた匂いがする。 水で薄められた安物の焼酎、酸化した赤ワイン、柔軟剤の安っぽい甘さ、炭酸の抜けきった砂糖水。人の手による合成物の織りなす香り。 誰も彼もがうらぶれて見える。 画一的なファストファッション、規格化された美しい顔、文明という名前がついただけで変化のない人間性。 身を切る冬の風も、焦がす夏の陽射しも、ひとときを過ぎゆくただの現象にす

          このリアルワールドはまったくリアルじゃないですね。

          いつ終わるか分からない今でいつまでも笑顔でいられない。

          映画だって(上映○○分)と教えてくれるのに。 この人生の期限が分かれば、残すはあと○○年だからコレとアレをやろうと考えられるのに。 いつ死ぬか分からない状態で生が続いているのって怖くないですか? 明日目覚めない可能性があるのに眠れるのはどうしてですか。 みんな寝たり起きたり未来のことを考えたりしてて素晴らしいですね、私は眠ることが怖い。 致命的な欠陥として、私は一般的なのものを求めてしまうところがある。 自分自身が持って生まれた性質と、望む理想とが大きくかけ離れていること

          いつ終わるか分からない今でいつまでも笑顔でいられない。

          生きることに向いていない性格をしている

          どうやら私は綺麗な百合より棘だらけの茨を選んだらしい。 肉体が邪魔過ぎる、煩わしい この個体を維持するのが面倒で仕方がない 生きることに向いていない 生きることに不向きな状態で敢えて生きることを定めとして生まれてきたのかと一瞬錯誤する。 そんなわけはない。 前生が存在したとしても、魂や過去があり得たとしても、きっとそんなわけはない。 生きることに不向きだと感じるのはただの勘違いだ。 勘違いしながら生きている。 楽しいとか幸せだとか、許されているとか大丈夫だとか、ずっと

          生きることに向いていない性格をしている

          この場所に私を留めるものが何もないと感じる。

          いてもいなくても構わない。どうでもいい。 そういう感覚や境遇を嫌悪して、承認欲求を爆発させるタイプではない。 すべてのことはどうでもいい。 人が一人死んでも、謝罪文を出して終わりにされるこの社会で、私はもう頑張りたくないです。

          この場所に私を留めるものが何もないと感じる。

          3大欲求に深刻なバグを抱えたまま何十年も右往左往している。

          人間としての耐用年数が限界。 義務教育に入る前から眠ることが怖いという致命的なエラーを抱えていた。 そのエラーは死に一番直結する。 人は一週間食べられなくても水と塩で生き延びることはできる。 人は一睡も出来ないと五日程度で精神が狂う。 セックスは子孫繁栄のための欲求なので、個体の生命が健やかに保たれていない現状に於いて後回しにされ、欠落しているがそれは当然のことだ。 この個体が死んだら繁栄もなにもない。 つまり3大欲求のうち、一番個体の維持に必要なのが睡眠なのだ。

          3大欲求に深刻なバグを抱えたまま何十年も右往左往している。

          親族が他界したので脈絡のない暗い有料記事を書く。

          スカベンジャーみたいでしょう? 先ず言い置きたいのですが、私は自傷行為をしないし自死の推奨もしていません。そしてしません。 ただ常日頃から根暗なだけです。ご理解ください。 整理されていない混沌とした思考を覗き見たい人向け。 物語でもなく、テーマもないものをただ書く事は普段しないのですが、たまには混沌としているものをそのままに残すのも良いのではないか、と思った。と言い訳します。 人生で2回しか無い貴重な体験ということで、そういうのも良いんじゃないでしょうか。 両親っ

          ¥300

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          どうしても能動的になれないので内なる感性に語りかけていた。

          ただ映画を観るだけで日を過ごした。それを格好良く言いたかっただけです。 暗澹たる気持ちだったのでアキ・カウリスマキ監督の労働者三部作を観て鬱々と過ごす パラダイスの夕暮れ マッチ工場の少女 真夜中の虹 間の取り方や挿入歌の感じが良くて一気に好きになってしまった。 場を繕う為のコント的な台詞回しや、登場人物に状況を解説させる親切なお喋りがないのもいい。 静かで暗く淡々と時が過ぎ物語は進み終わる。 登場人物が少なく、だいたい中年で、全体的に温度が低い静かな画面の中の彼らがや

          どうしても能動的になれないので内なる感性に語りかけていた。

          優しい人たちに出会うことは幸せで、同時にとても怖いと感じる。

          悪人たちなら斬って捨てることができる。 自分の尊厳のために傷付けることも許される。 やられたことをやり返して良くて、正義を気取って居直ることができる。 でも優しい人たちのことは斬り捨てることが出来ない。 だからどうしていいか分からない。 暖かい彼らのことを傷付けるくらいなら、私が進んで下敷きになりたい。 踏み固められて構わない。折られても笑っていられると思う。 人に傷付けられることより、傷付けてしまうことのほうがずっと怖い。 だったら一人でいい。 優しい人で

          優しい人たちに出会うことは幸せで、同時にとても怖いと感じる。

          素直になれない照れ屋ほど追い詰められると色々吹っ切って変人と化す

          この現象は一体何なんでしょうか。 誰でもなく私のことであります。 すなおでありたい。 そうめいでありたい。 ほがらかでありたい。 やさしくありたい。 おだやかでありたい。 ありたい、ありたい、ありたい。 努力はしている。努力したところで、という自答が入るが。 水のように生きることを望み、変容を尽く受け入れるゆるやかさで歩いていたら、渇いた人たちに飲み込まれてしまうような世の中である。 「あなたは まるで さばくのなかの オアシスのようだ」 例えばこういうと、一見「あな

          素直になれない照れ屋ほど追い詰められると色々吹っ切って変人と化す