素直になれない照れ屋ほど追い詰められると色々吹っ切って変人と化す
この現象は一体何なんでしょうか。
誰でもなく私のことであります。
すなおでありたい。
そうめいでありたい。
ほがらかでありたい。
やさしくありたい。
おだやかでありたい。
ありたい、ありたい、ありたい。
努力はしている。努力したところで、という自答が入るが。
水のように生きることを望み、変容を尽く受け入れるゆるやかさで歩いていたら、渇いた人たちに飲み込まれてしまうような世の中である。
「あなたは まるで さばくのなかの オアシスのようだ」
例えばこういうと、一見「あなた」を褒めてはいる。
だが相手を称賛する裏側に、渇いた自分を癒やしてくれるだろうという下心が透けている。
私はそう感じる。他者に強要はしないが。
ものの捉え方が斜めを見ている。
昨日今日の話ではなく、変人を気取る自分で自己肯定しているわけでもない。
できれば普通の普通が良かった。
どこかが歪んだまま育ってしまって、私にとっての空というところは、多分あなた達のいう地面というところなんでしょうね。